(ボローニャ市街地の中心にあるネットゥーノ広場には、毎年クリスマスツリーが飾られる。イルミネーションは年ごとに異なるようである。)
この時期、街角や広場、ショーウィンドウや家の中まで飾られるクリスマスツリー。
それを見たら思い出してほしい。御子イエス・キリストにまつわる真の「ツリー」を。
その「ツリー」には、人の目を喜ばされるイルミネーションなどなく、むしろ昼間なのに恐ろしい暗闇に包まれていた。周囲にいた人々の口から出てきた言葉は、お祝いの言葉ではなく、罵りと嘲りの叫びであった。
そしてその「ツリー」に架けられていたのは、キラキラ輝くラッピングに包まれたプレゼントではなく、父なる神から遣わされた「かけがえのない賜物」であった。
ガラテヤ3:13-14
13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
Ⅰペテロ2:22-24
22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
その「ツリー」を見て、思い出してほしい。御子があなたの救いのために尊き命を捧げてくださったことを。
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