an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」

ルカ10:25-28

25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

 御子イエスの律法学者に対する「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」という問いかけは、御子自身が律法に関して持っていた考えを明らかにしている。

① 律法の中に永遠の命が啓示されている:(しかしそれは律法、そして旧約聖書すべてがご自身を証ししている、という意味においてだったが...)

ヨハネ5:39

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

 

② その書き記された律法は、一人の人間が読み、その書かれていることを基本的に理解できるものである:もし御子イエスが、律法学者は書かれた文章を読むことができず、また読んでもその内容を理解できないと考えていたら、上述のような問いかけはせず、「永遠の命を得るためには、律法のあの部分に書いてあるとおりである」と教えていただろう。しかし御子は実際、この律法学者が書かれた聖書を読み、その文章が伝えようとしていたメッセージを理解できるという前提のもとに問いかけた。

 

③ 律法の解釈に個人的自由が与えられている:「こう読め」という強制的インプットでも洗脳でもない。正しく解釈するかしないかの個人的選択が前提としてある。しかしその自由は、すべてが相対的でどう解釈しても同じ価値をもつ、という意味ではないことは、以下の聖句においても戒告されている。

Ⅱペテロ1:20-21

20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。

21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。

 

④ 御子は正しいことを教えてくださる:「あなたの答は正しい。」 御子イエスは、不可知論者のように「自分の不確かさ」を絶対化することはない。神の言葉の中に啓示されている絶対的善を人間に対して示すことを躊躇しない。実際、御子イエスの御心は、人々が神の国と神の義を知るようになることである。上述の律法学者が質問する直前に、御子が喜びの賛美をしているが、その言葉が証明している。

ルカ10:21-24

21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。

22 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。

23 それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。

24 あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。

 

⑤ もし律法学者が間違った回答をしていたら、その間違いを指摘していただろう: 主が「あなたの答は正しい。」と答えたということは、もし間違っていたら「間違っている」と修正しただろうことを暗示している。実際、律法の間違った解釈をしていたサドカイ派の人々の質問に対して、はっきりとその誤りを指摘している。

マルコ12:18-27

18 復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとにきて質問した、

19 「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。

20 ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、

21 次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。

22 こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。

23 復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。

24 イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。

25 彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

26 死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。

27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。

 生きている者の神は今現在も、聖霊を通して、

「聖書には何と書いてあるか」

「神が仰せられた言葉を読んだことはないのか」

「あなたはどう読むか」

「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい」

「あなたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか」

「あなたは非常な思い違いをしている」

などと、私たちを絶えず訓戒し、教え、導いてくださる方である。

Ⅱテモテ3:13-17

13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。

14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、

15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。