an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

キリストの十字架の力

ガラテヤ2:19,20 19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉…

「婦人よ、わたしを信じなさい」

ヨハネ4:19-26 19 女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。 20 わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。 21 イエスは女に言われた、「女よ、わた…

生けるキリストを求めて(55)誘惑を受けたイサク

創世記26:1-14 1 アブラハムの時にあった初めのききんのほか、またききんがその国にあったので、イサクはゲラルにいるペリシテびとの王アビメレクの所へ行った。 2 その時、主は彼に現れて言われた、「エジプトへ下ってはならない。わたしがあなたに…

斜塔の下の教会の中で

ボローニャの斜塔の隣にあるBasilica Collegiata Dei S.S.Bartolomeo E Gaetano(バジリカ・コッレジャータ・デイ・サンティッシミ・バルトロメオ・エ・ガエターノ)の内部。 街の雑踏から逃れて一息つくために教会に入って座っていたら、夕暮れの光に照らさ…

あらゆる境界線を越えて働きかける公平な神

Ⅰコリント1:26-31 26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな…

生けるキリストを求めて(54)天幕に住む「約束の子」ヤコブ

創世記25:27-34 27 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。 28 イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。 29 ある日ヤコブが、あ…

最悪の事態

緊急時訓練・ターニングポイント 15 2015.6.3|オリーブ山便り 危機とその先を見据えて、最悪の事態に備えることは、決してネガティブなことではない。逆に強さであると筆者はかねがねイスラエルから学んでいるところである。 信仰者にとって「最悪の事態」…

私達の「無知」を包容する神の恵み

水についてまだよく分かっていない5つのことgigazine.net 私達の物質的肉体の約70%を占める「水」。生存に欠かすことのできない存在だが、その性質に関しては、まだわからないことが多いという。 しかし幸いなことに、私達の「無知」は私達の体の存続を損…

エリヤ、ナボテ、ミカヤ、そしてイエス・キリスト

列王上19:18 また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。 主なる神は、カルメル山の頂で預言者エリヤがたった一人で四百五十人のバアルの預言者らと対決しなければならなかった…

生けるキリストを求めて(53)神の救いの計画

創世記25:20-26 20 イサクは四十歳の時、パダンアラムのアラムびとベトエルの娘で、アラムびとラバンの妹リベカを妻にめとった。 21 イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。 22…

罪人のかしら

「悪」と「自分ではない何者か」とを同一化し、「敵」「悪者」というカテゴリーを生み出し、そのカテゴリーを精神的・物質的に攻撃することによって自分の立場を正当化し、自己の目的を遂行し、利益を守る。 これはあらゆる文化の中で、歴史を通して現在に至…

『神は女でもある』?

"Dio è anche donna" la sfida delle anglicane per riscrivere le preghiere - la Repubblica.it 『神は女でもある』英国聖公会による祈祷文を書き換える挑戦 イタリア・レプッブリカ紙 「天にいますわれらの母よ、御名があがめられますように」:キリスト…

引き裂かれた幕を縫おうとする偽善

マタイ27:50,51a 50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。 51a すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。 へブル10:19-22 19 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく…

十字架の前を通り過ぎる人と立ち止まる人

ピリピ2:6-8 6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字…

生けるキリストを求めて(52)ハガルでもケトラでもなく、サラから生まれた約束の子

創世記25章には、アブラハムの子孫らの系図が啓示されている。 正妻サラの後にアブラハムが娶った後妻ケトラから生まれた子孫(1-6節):6節によると、ケトラはあくまで「そばめ」と考えられていたようである。 1 アブラハムは再び妻をめとった。名を…

生けるキリストを求めて(51)「唯一の義の行為」によってもたらされた「新しい契約」

今年の1月から『生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト)』というテーマでシリーズ記事を書いているが、時々、「なぜ私がそのようなテーマで書いているのか」「どの様な根拠で旧約聖書を解釈しているのか」など、基本的かつ核心的な部分にも触れ…