an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ニネべの東

ヨナ3:10;4:1-11 3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。 1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、 2 主に祈って言った、「主よ、わたし…

神のあかし:「これ以上、なんの証拠がいるか。」

ルカ22:66-71 66 夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、 67 「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」。イエスは言われた、「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。 68…

解釈の基本原理:霊的シンボリズムと実践的教え(第一コリント5章の例)

Ⅰコリント5 1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。 2 それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな…

ブログをはじめて4年

5月20日で、このブログをはじめて丸4年が経過した。記事の総数は1021、PVの総数は235000。 大きな試練の時期にはじめたブログであったが、時には「憑りつかれた」ように、時には悪戦苦闘しながら、それでも気負わず、御子の恵みのうちにある自…

テストーニ通りでみかけた情景

通りがかったテストーニ通りのある建物の入り口から見た情景。廊下の奥から射し込む光が、モザイクの床面に青白く映り込んでとても美しい。ちなみに床面にある「Salve」は祝福の挨拶「幸いあれ」、もしくは口語的な使い方で「こんにちは」というニュアンスを…

「あなたがたは神々である」に関する検証

ヨハネ10:30-39 30 わたしと父とは一つである」。 31 そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。 32 するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざの…

「永遠の命にあずかるように定められていた者」に関する検証

使徒13:38-49 38 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、 39 信じる…

フリーソフトInterliner Scripture Analyzer について

以前から Interliner Scripture Analyzer (ISA3 basic)というフリープログラムを他の聖書研究のツールと併用していたのだが、最近そのプログラムの中で使われている聖書の翻訳バージョン(Concordant Literal Version 2.1 CLV)が独特の傾向をもつことに気が…

安息日に関する考察(15)神の安息

へブル4:1-11 1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。 2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えら…

安息日に関する考察(14)だれにも批評されてはならない

コロサイ2:16-17 16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。 17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。 以前『幼稚な遊び』という記事でも…

安息日に関する検証(13)各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。

ローマ14:1-12 1 信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。 2 ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。 3 食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる…

安息日に関する考察(12)主イエスと使徒パウロ

マタイ12:9-10 9 イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。 10 すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。 マルコ1:21 それから、彼らはカペナウ…

安息日に関する考察(11)会堂司の教訓

ルカ13:10-17 10 安息日に、ある会堂で教えておられると、 11 そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。 12 イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、 13…

安息日に関する考察(10)人の子は安息日の主である。

マタイ12:1-8 1 そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。 2 パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならない…

安息日に関する考察(9)イザヤ66章の預言

イザヤ66:15-24 15 見よ、主は火の中にあらわれて来られる。その車はつむじ風のようだ。激しい怒りをもってその憤りをもらし、火の炎をもって責められる。 16 主は火をもって、またつるぎをもって、すべての人にさばきを行われる。主に殺される者は…

安息日に関する考察(8)イザヤ58章

イザヤ58:13-14 13 もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、 14 その…

安息日に関する考察(7)律法全体の中の安息日、そして御子の中の安息

安息日に関する考察(6)聖会 - an east windowにおいてレビ記23章を考察したが、その章に書いてある内容を繰り返し読んでいると、「安息日」の教えがイスラエルの民のために律法の定めていた様々の祭儀における聖会と一体のものであり、決して切り離せな…

安息日に関する考察(6)聖会

レビ記23章には、週の第七日の安息日と、過ぎ越しの祭やペンテコステの祭、贖罪の日の祭など、イスラエルの年間を通して行うように命じられていた「主の定めの祭」について詳細が記述されている。 1 主はまたモーセに言われた、 2 「イスラエルの人々に言…