「霊の戦い」の世界観に対する警告記事(B・デウェイ牧師)の紹介
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現代の「霊の戦い」に関する危険な間違いを、論者自身の経験から指摘している非常に重要な警告記事である。私自身、過去にこのような教えを実践しているいくつかの教会や兄弟姉妹に出会い、また強迫観念による神経症を患ってしまった人たちを何人かサポートしたことがある。
勿論、私も聖書が啓示しているように悪霊の存在を知っているし、その超自然的働きを見たことがあるが、やはり御子イエスの十字架の勝利の力は、それらの悪霊の顕現とは比較にならないほど圧倒的であり、いのちに満ちているのである。
だからボブ・デウェイ牧師が語っているように、いかなる状況においても福音を、特に「十字架に架けられた御子イエス・キリストの福音」に全幅の信頼を寄せ、語り伝えていきたいと思う。ゴルゴタの丘の十字架にこそ歴史上最も悪霊の力が働いたのに対して、御子は完全に勝利したのであるから!
ローマ8:31-39(新改訳)
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
使徒パウロのレトリックな問いかけに愚直に答えてみよう。
- 誰が私たちに敵対しているのか。悪魔である。(ヘブル語【שָׂטָן śâṭân】の原義は「敵対者」である。)
- 誰が私たちを訴えるのか。悪魔である。(ギリシャ語【διάβολος diabolos】の原義は「中傷する者」「偽って訴える者」である。)
- 誰が私たちを罪に定めようとするのか。悪魔である。
- 私達をキリストの愛から引き離そうとする「天使ら【ἄγγελος aggelos】」や「力ある者たち」もしくは「力」とは、いったい誰であろうか。悪魔と悪霊どもである!(罪を犯さなかった御使いたちは、私たちを御子の愛に近づけることはあっても、決して引き離そうとはしないからである。)
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって(それは私たちの賜物や力、能力、経験、知識によってではない!)、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者であることが保証されている。
その根拠は何だろうか。それは御子が十字架の上で私たち罪びとの救いの為に身代わりとなって、父なる神から「引き離されてくださった」、その愛と「十字架の勝利」のみに根差している。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
ローマ5:5-8(新改訳)
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
コロサイ2:14-15
14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。