an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

安息日に関する考察(7)律法全体の中の安息日、そして御子の中の安息

 安息日に関する考察(6)聖会 - an east windowにおいてレビ記23章を考察したが、その章に書いてある内容を繰り返し読んでいると、「安息日」の教えがイスラエルの民のために律法の定めていた様々の祭儀における聖会と一体のものであり、決して切り離せない全体の一部であることが理解できる。つまり律法が定めていたカレンダーを構成する重要な要素であり、安息日の教えの一要素だけを律法の全体から切り離し、独立したものとして考えることはできないのである。

 例えば、イタリアにある日本大使館は日本の行政機関であるが、だからといって日本の公休日には従ってはおらず、イタリアの法律によって定められた公休日に準じている。大使館職員の方は誰も、「日本では今日は『憲法記念日』だから仕事はしません」と主張することはできないのである。

 同じように日本に住んで働いているイタリア人は、日本の公休日以外に、イタリアの12日ある公休日を要求することはできない(イタリア人ならあり得るかもしれないが、一般的には通用しないだろう)。

 一つの規則は全体の枠組みの中で考慮しなければいけないのである。律法に関してもそれは同様、いやそれ以上であろう。初代エルサレム教会の長老の一人であったヤコブは、律法の一つの戒めが律法全体を同じであることを書き記している。

ヤコブ2:10

律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。

 その真理は、御子自身の言葉でも理解できる。

マタイ5:17-18

17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。  

 つまり律法は、その一点一画も欠けることなく全部が御子によって成就されると預言されていて、実際に御子が十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:30)と叫ばれた時、まさに律法の全てが一点一画も欠けることなく成就したのである。

 使徒パウロも、御子の十字架の死における律法全体の成就の意味を、以下のように啓示している。

コロサイ2:14

神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。  

 「証書」もしくは「証文」と和訳されている原語【χειρόγραφον cheirographon】は単数形であり、「規定」【δογμασιν dogmasin】は複数形である。つまり、主なる神が十字架につけた(勿論、この表現は霊的象徴である)のは、多くの規定によって構成された「律法全体」を示している。

 さらに使徒パウロは、男女の婚姻関係に譬えて、「律法と人間の関係」について啓示している。

ローマ7:1-4

1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。・・私は律法を知っている人々に言っているのです。・・

2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。

3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。

4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。 

  妻は夫という一人の男性のすべてと婚姻関係にあるのであって、その男性の都合のいい要素(たとえば財産とか地位とか)とだけ結婚しているわけではない(現実にはそのような打算的関係も存在はするが、それはまた別の問題である)。同じように律法と人間のつながりは全てにおいてであったが、キリストの死によって、その全ての律法に死んだのである。だからこそ、死からよみがえったイエス・キリストと、完全に一つになり、神が喜ぶ実を結ぶことができるようになるのである。

 主なる神自身が御子を通して「証書」つまり律法全体を十字架につけ、葬ったわけだから、安息日の教えも含め、律法の中のあらゆる戒めは、十字架の死と復活したキリストによってのみ、はじめて真の意味が啓示されるのである。

マタイ11:28-30

28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

「わたしのところに来なさい。」

「わたしが休ませてあげます。」

「わたしは心優しく、へりくだっている。」

「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」

そうすればたましいに安らぎが来ます。」

 

(8)へ続く