an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

天にある御座と聖所の幻を見た使徒ヨハネ

黙示録7:9-17

9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、 

10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。 

11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、 

12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。

13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。 

14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。 

15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。 

16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。 

17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。 

 小アジア(現在のトルコ領)のスミルナ出身のエイレナイオス(西暦130年頃 – 202年)の証言によれば(『Adversus haereses』5.30.3.)、『黙示録』はドミティアヌス皇帝の治世(西暦81年―96年9月18日)の末期に書かれたと考えられている。アレクサンドリアのクレメンス(西暦150年-212年)やオリゲネス(西暦185年頃 -254年頃)によれば、ネロ皇帝治世下(西暦54年―68年)において書かれたと証言されているが、ローマ帝国による宗教的迫害が小アジアの地域教会にまで及んでいたことから、ネロ皇帝の時代の特徴に適合しないと考えられる。

 エイレナイオスの証言に基づくなら、使徒ヨハネが流刑の島パトモスで『黙示録』の啓示を受けた時、ローマ軍による西暦70年のエルサレム陥落と神殿破壊から、20年以上も経過していたことを意味する。つまりその当時には、エルサレムの神殿もその神殿における礼拝も消滅していた、ということであり、御子が地上公生涯において預言していたことが完全に成就していたということである。

マルコ13:1-2

1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。 

2 イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。

ルカ21:5-6;20-21

5 ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、 

6 「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。 

20 エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。 

24 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。 

 そのような歴史的状況において、福音宣教のゆえに迫害を受けていた老齢の使徒ヨハネが、冒頭に引用した聖句のような天上の啓示を受けた時、言葉では言い表し難い慰めを受けたのは容易に想像できることではないだろうか。

それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。

 人間的に考えれば、使徒ヨハネも一人のユダヤ人として「イスラエルの復興」に関心があったかもしれない(使徒行伝1: 6参照)。しかしエルサレムが陥落し、神殿が完全に破壊されたことによって、また教会が激しい迫害を受け、自身も流刑の身となることによって、彼の希望はさらに天的なものに昇華されていただろう。

 それは同じように福音のゆえに囚われの身となっていた使徒パウロや、『へブルびとへの手紙』の筆者、そして使徒ペテロが受けていた慰めや希望と同じ種類のものだろう。

ピリピ3:20-21

20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 

21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

へブル12:22-24;13:14

22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、 

23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、 

24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。 

13:14

この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。 

Ⅰペテロ1:3-4

3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、 

4 あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。 

Ⅱペテロ3:11-13

11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 

12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。 

13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。