an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「彼はいま祈っている」

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使徒9:10-12

10 さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。

11 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。 

12 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。 

 「彼はいま祈っている」 何という素晴らしい言葉だろうか。人間の祈りの対象であり、「霊なる対話」の不可欠な相手(実際、もし神がいないのなら、祈りはただの「独り言」である)である主なる神が、御子イエスの啓示を受けたばかりのサウロ(使徒パウロ)が祈っている、ともう一人のしもべアナニヤに証しているのである。

 人間の偽善は自分がどれだけ祈っているかを自らの口で語りたがるものだが、ここでは、主なる神自身がサウロのことを語っているのである。まるで「サウロは今、私の前に跪いて、私と彼は心を開いて話している。私は彼のことをよく知っている」と言っているようなものである。

 主なる神はサウロが「祈っている」と証ししている。「教会で跪いて『主の祈り』を口で唱えているけれど、心は仕事や食事や心配事のことで一杯だ」とは、勿論言っていない。主なる神が、サウロの営みをまさに「祈り」と見なしていたのである。

 主なる神は、私たちが今どこにいて何をしているか、ご存じである。そして教会を迫害する者であったサウロをキリストの光で照らし、霊と真理による祈りの心を与えた方はまた、私たちの心の目を開き、真の霊的交わりに導いて下さる方である。

マタイ6:6

あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、

隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。

すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。 

ローマ8:26

御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。