an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

シリアのアンテオケ教会(2)

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使徒13:1-3

1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。 

2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。 

3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。 

 エルサレムで起きた大迫害によってシリアのアンテオケに身を避けたヘレニスト・ユダヤ人(ギリシャ語を話す離散のユダヤ人)クリスチャンは、その町に住んでいたギリシャ人たちにも福音を語ることによって、多くの人々が救われていた。

 そのような霊的祝福を受けたアンテオケ教会において、複数の預言者や教師がいたことが記述されている。

  • バルナバ(キプロス島生まれのレビ族で、本名はヨセフ。「バルナバ」は【慰めの子】という意味。使徒4:36参照)
  • ニゲルと呼ばれるシメオン(【Νίγερ Niger】ラテン語で「黒」という意味。おそらく肌の色を指していたと思われる。)
  • クレネ人ルキオ(現代のリビア地方出身)
  • 領主ヘロデの乳兄弟マナエン(「乳兄弟」ということは、領主ヘロデと同じ乳母によって育てられた人物だったことになる。)
  • サウロ(小アジアのタルソ出身で、後にパウロという名で呼ばれるようになる)

 

 このアンテオケ教会の代表的メンバーの記述だけでも、実に様々な興味深い点がある。

  1. 現代の使徒運動なので見られるような肩書的な使い方で「預言者や教師」という表現を使っていない。つまり「預言者シメオン」とか「教師サウロ」などは書いていないのである。おそらくそれぞれの働きの範囲はかなりオーバーラップしていて、厳密に境界線を引くことは意味がなかったのだろうと思われる。
  2. 一同が主に礼拝をささげ」 つまり皆が礼拝を一緒に捧げていたのである。「バルナバが礼拝を指揮して」などとは書いていない。
  3. 断食をしていると」 礼拝の一部として「断食」の要素が記述されている。これは当然、「日曜の朝食から昼食まで時間」を意味していなかったはずである。
  4. 聖霊が『さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい』」。「聖霊が」語ったのである。おそらく「天から声が聞こえてきて」というのではなく、「聖霊がその礼拝に参加していた人々の中から、誰か一人の口を通して語られた」という状況だっただろうが、その用いられた人物が誰であるか、ということは重要でなく、神なる聖霊が語りかけたということが本質的な内容であった。
  5. バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」 バルナバとサウロ(パウロ)は、アンテオケの地域教会においては非常に重要な役割を担っていた。(「バルナバはサウロを捜しにタルソヘ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。」使徒11:25-26a)。聖霊は、アンテオケ教会内で大切な働きをしていた二人を選び出し、海外福音宣教というご自身の大きな計画のためにつかせた。これは自己完成型もしくは自己満足的な地域教会のあり方に対する教訓である。主なる神は、御子のからだを通して成し遂げられるご自身の計画の一部として、それぞれの地域教会を置いておられる。それは個人の「ビジョンの実現」とかではなく、兄弟姉妹の祈りのなかで成就していくことではないだろうか。
  6. そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後」 聖霊からの指示の後に、アンテオケ教会の兄弟姉妹一同がさらに断食と祈りとをしてから、「手を二人の上に置いた」という詳細は、とても興味深い。「聖霊が語りかけた!」と言って興奮し、無批判に行動を起こしたわけではなく、さらに真剣な祈りのうちに、主の導きと祝福を一緒に求めたことがわかる。これは、「キリストの名によって」「聖霊が私に語られた」「主がこう言われる」と言いながら、自己実現のビジョンを語るものが少なくない現代にあって、非常に重要な態度ではないだろうか。

Ⅰコリント14:29

預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。 

Ⅰヨハネ4:1

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。  

 

(3)へ続く