an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヨセフの長子マナセ

創世記41:50-52

ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。 

ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。 

また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。 

 17歳の時に自分の兄弟たちに奴隷として売られ、父ヤコブの家から遠く離れたエジプトで、13年間あらゆる苦しみを味わってきたヨセフは、神の計らいで王の次の位まで引き上げられ、自分の家庭を持つまでになった。そしてついに初めての子供が生まれ、彼は「マナセ」(忘れる)と名づけた。

「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。

 この言葉の内に、良いことも悪いことも含めて過去のすべての経験と決別し、エジプトにおける人生を神から与えられた現実として受け入れようと、決心したヨセフの心が読み取れる。「過去のことはもう忘れよう。この神から与えられた新しい小さな命とともに、神が私に与えた新しい人生を受け入れよう」と。

 しかし神は全く異なる方法で、ヨセフの苦い過去を解決する計画をもっておられた。自分を売り飛ばした兄弟たちとの、全くごまかしのない真の和解をヨセフに備えておられた。たとえヨセフがそこに辿り着くのに、さらに深い葛藤を通らなければいけなくなることを知っていたとしても、ヨセフにとって、またイスラエルの民全体にとって、最善の道を用意されていたのである。

 神は人の魂の問題を決して軽くあしらわない。その高い代価を御子の死によって払わなければならなかったのだから。