an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(48)約束の地に留まった約束の子イサク

創世記24:1-8
1 アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。
2 さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、「あなたの手をわたしのももの下に入れなさい。
3 わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。
4 あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。
5 しもべは彼に言った、「もしその女がわたしについてこの地に来ることを好まない時は、わたしはあなたの子をあなたの出身地に連れ帰るべきでしょうか」。
6 アブラハムは彼に言った、「わたしの子は決して向こうへ連れ帰ってはならない。
7 天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使をあなたの前につかわされるであろう。あなたはあそこからわたしの子に妻をめとらねばならない。
8 けれどもその女があなたについて来ることを好まないなら、あなたはこの誓いを解かれる。ただわたしの子を向こうへ連れ帰ってはならない」。 

 「わたしの子は決して向こうへ連れ帰ってはならない。」 

 アブラハムは二度もこの言葉を繰り返すことによって、その命令が絶対であることを伝えている。この断固とした意思は、何を意味するのだろうか。アブラハム自身はカルデヤのウル出身で、「向こう」の地は、彼にとって生まれ故郷でさえあった。また彼は、主なる神の命令に従って約束の地カナンに移住してから、その地を襲った厳しい飢饉から身を守るため、エジプトへ下った経験があった。そのアブラハムが、「自分の一人息子を絶対にメソポタミアに連れ出してはいけない」と命令しているのである。

 またアブラハムの孫であり、イサクの子であるヤコブは約束の地に生まれたが、復讐に燃える双子の兄エサウから身を守るため、「向こう」の地、つまりメソポタミヤのカランに避難し、そこで二十年以上過ごし、その後約束の地に一度は戻ったが、晩年の十七年間はエジプトで過ごし、そこで地上の人生を終えることになった。

 主なる神が御自身を啓示する時に使われた言葉、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(出エジプト3:6)で引き合いに出されている三世代三人のうち、イサクだけは一度も約束の地から外へ出ていないことは、興味深い事実である。「約束の子イサク」は、「約束の地カナン」から出てはいけなかったのである。

 これは御子イエスが、神の数々の約束の言葉、つまり旧約聖書の中に啓示されている預言の成就として、聖霊によって地上に生まれ、神の律法に背いて罪を犯すことなく、父なる神の御心の中に留まって、十字架の死に至るまで父なる神に忠実であったことを予示している。

Ⅰペテロ2:22-24

22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。

23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。