ダニエル6:10,11
ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。そこでその人々は集まってきて、ダニエルがその神の前に祈り、かつ求めていることを見た。
当たり前のことだが、この地上において一人の人間が見ることができること、理解できること、知ることができることには限界がある。無数の制約や制限(自分で作ってしまうものも含めて)が窓枠のようにあって、360度のパノラマ全体を鳥瞰することができないのである。むしろその窓枠は非常に小さく、眺望できる風景もほんの一部であろう。
問題は自分の窓がどちらの方向を向いているか、またその小さな窓枠を通して何を見ているかである。
ダニエルは、はるか遠くにある愛するエルサレムに向かって開かれた窓の所で、膝をかがめて神の前に祈っていた。
しかし何か口実を見つけてダニエルを陥れようと窺っていた人々は、全く同じ大きさの窓枠を通して、ひざまずいて祈っている一人の男しか見なかった。
終わりの時、人間に注意がいってしまいがちである。また他人の評価ばかりに意識がいき、心が騒ぎがちである。しかし神の前に静まり、遜って祈るとき、窓の向こうには天のエルサレムが見えてくる。