an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

第六の封印(1):「地上における十四万四千人」と「天の群衆」

黙示録6:12-14

12 小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、

13 天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。

14 天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。 

 神の子羊である主イエスが第六の封印を解いた時、天地の大きな異変が起きることになる。それは大地震であり、また太陽が光を失い、月は血のように赤くなり、おそらく多くの隕石が地上に降り注ぐことになる。「天は巻物が巻かれるように消える」がどのようなことを示しているかわからないが、太陽が暗くなることを考えると昼の青空が消え、夜の星も大気の変化で見ることができなくなるのかもしれない。そして大規模な地殻変動も起きるようである。これは、預言者ヨエルなどによって語られていた「主の大いなる恐るべき日が来る前のしるし」である。

ヨエル2:30-31

30 わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。

31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。

 地上に生き残った人々はその大変動によって、「神の裁きの日の到来」を悟ることになる。

黙示録6:15-17

15 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。

16 そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。

17 御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。 

 興味深い点は、この後、主イエスが第七の封印を解き、五人の御使いを通して地上に下される「第一の災い」の時(黙示録8:1-13;9:1-12)まで、地上にいかなる害も下されない時期があることである。

黙示録7:1-3

1 この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。

2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、

3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。 

 そして第七の封印が解かれた時に天の半時間ばかりの静けさが与えられることと合わせて考慮すると、相対的には短い時間だと思うが、天と地に「ひと時の平静」があることを暗示している。

 まさにその「平静の時」に、地上にいるイスラエルの子孫の部族のうち、各部族から一万二千人づつ神のしもべ、キリストの証人として選ばれることになる。

黙示録7:4-8

4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。

5 ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、

6 アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、

7 シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、

8 ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。 

 このイスラエルの部族を「大患難期の選ばれる信徒のシンボル」とする置換神学的解釈もあるが、なぜ部族の名を挙げてまでそのようなシンボル化をするのかを示す根拠の説明はない。

 地上においてこれらの十四万四千人が神に選ばれている時、天上の御座の前では、世界中から贖い出された数えきれないほどの大ぜいの群衆が、父なる神と御子を賛美することになる。

黙示録7:9-12

9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、

10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。

11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、

12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。 

 私は、キリストの贖いの勝利のシンボルである白い衣(黙示録3:5)を身にまとい、棕櫚の枝(これも勝利のシンボルである)を手にもって父なる神と御子を賛美している「あらゆる国民、部族、民族、国語の、数えきれないほどの大ぜいの群衆」は、携挙された教会だと解釈している。

 一人の長老は、使徒ヨハネのその天上の無数の群衆のアイデンティティーを啓示している。

黙示録7:13-14

13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。

14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。 

 「大きな患難をとおってきた人たち they which came out of great tribulation」は、訳によって微妙にニュアンスが異なり、群衆、つまり教会が大患難をどの程度経験したかは、この表現に使われている原語の動詞だけでは判断し難い。

新改訳:大きな患難から抜け出てきた者たち

岩波訳:大きな患難をくぐり抜けてきた者たち

新共同訳:大きな苦難を通って来た者

前田訳:大きな苦しみを経た人々

文語訳:大なる患難より出できたり

塚本訳:大なる患難を経て来た者

 それでも文脈上理解できることは、この時点ではまだ第八章における第七の封印が解かれておらず、七つ目の封印が解かれ、巻物が開かれることによって、堰を切ったかのように地上に降り注ぐことになる凄まじい「災い」も、反キリストの大迫害もまだ起きていないことである。

 

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