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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

什一献金について(4)大小二種のおもり石

レビ記19:35,36

35 あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。 

36 あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの国から導き出したあなたがたの神、主である。 

申命記25:13-16

13 あなたの袋に大小二種の重り石を入れておいてはならない。 

14 あなたの家に大小二種のますをおいてはならない。 

15 不足のない正しい重り石を持ち、また不足のない正しいますを持たなければならない。そうすればあなたの神、主が賜わる地で、あなたは長く命を保つことができるであろう。 

16 すべてこのような不正をする者を、あなたの神、主が憎まれるからである。

ミカ書6:9-11

9 主の声が町にむかって呼ばわる――全き知恵はあなたの名を恐れることである――「部族および町の会衆よ、聞け。 

10 わたしは悪人の家にある不義の財宝、のろうべき不正な枡を忘れ得ようか。 

11 不正なはかりを用い、偽りのおもしを入れた袋を用いる人をわたしは罪なしとするだろうか。 

 少し前にイタリアで、メーターを不正操作して、実際にポンプを通る量が表示量よりも少なくしていたガソリン・スタンドが何店か摘発された。メーターが正確であるという前提のもとで購入する消費者の信頼を裏切る重大な不正行為として、財務省管轄の軍隊も取締に動き出す騒ぎになった。

 人の心はいつの世も変わらないもので、旧約聖書の時代から不正の計りを使ったり、天秤に載せるために使っていたおもり石を正当なものと軽いもの(あるいは重いもの)で使い分け、不当な利益を得ていた商売人が一般的にいたのである。だからこそ、このような戒めがモーセの律法の中や預言者の書に書き記されていたのである。

 「大小二種のおもり石」これらの二つのおもり石の「見かけ」は、全く同じであったはずである。使う本人だけが識別できる小さなしるし以外は。

 残念ながら、什一献金に関連して、同じような「大小二種のおもり石」が使われている。教会員の前では「什一献金に忠実でないものは、神の前で盗みを働いている。神に呪いを受けることになる」と脅し、聖書の中で書かれていない「大きなおもり石」を使いながら、一方では、どこかのおエライ牧師先生が教会の献金や一般の方から集めたりした義捐金を「不透明な」使い方をしたと聞いても、「小さくて軽いおもり石」で計るだけで、「神の呪い」どころか沈黙して告発もせず、抗議するものでもあろうものなら、「油を注がれた神の僕を裁いてはいけない」とたしなめられる、といった始末である。これが「大小二種のおもり石」を使うということでなかったら、何だというのだろうか。

 「不正なはかりを用い、偽りのおもしを入れた袋を用いる人をわたしは罪なしとするだろうか」。正義の主なる神の言葉である。

コロサイ3:25

 不正を行う者は、自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない。 

Ⅰペテロ1:17

あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。

 

(5)に続く

什一献金について(5)当然の権利? - an east window