七年目の安息年に関する考察(2)
出エジプト23:9-12
9 あなたは寄留の他国人をしえたげてはならない。あなたがたはエジプトの国で寄留の他国人であったので、寄留の他国人の心を知っているからである。
10 あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。
11 しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。
12 あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。
レビ25:1-7
1 主はシナイ山で、モーセに言われた、
2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが与える地に、あなたがたがはいったときは、その地にも、主に向かって安息を守らせなければならない。
3 六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝を刈り込み、その実を集めることができる。
4 しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。これは、主に向かって守る安息である。あなたは畑に種をまいてはならない。また、ぶどう畑の枝を刈り込んではならない。
5 あなたの穀物の自然に生えたものは刈り取ってはならない。また、あなたのぶどうの枝の手入れをしないで結んだ実は摘んではならない。これは地のために全き休みの年だからである。
6 安息の年の地の産物は、あなたがたの食物となるであろう。すなわち、あなたと、男女の奴隷と、雇人と、あなたの所に宿っている他国人と、
7 あなたの家畜と、あなたの国のうちの獣とのために、その産物はみな、食物となるであろう。
レビ25:20-23
20 「七年目に種をまくことができず、また産物を集めることができないならば、わたしたちは何を食べようか」とあなたがたは言うのか。
21 わたしは命じて六年目に、あなたがたに祝福をくだし、三か年分の産物を実らせるであろう。
22 あなたがたは八年目に種をまく時には、なお古い産物を食べているであろう。九年目にその産物のできるまで、あなたがたは古いものを食べることができるであろう。
23 地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。
上述の聖句をよく読むと、実に素晴らしいコンセプトが啓示されている。つまり「地は主なる神のものである」という大前提があり、その主なる神が恵みとしてご自身の民にその地を与えたがゆえに、勝手に売ったり、自分勝手に搾取したりしてはならず、主なる神の目的に従って管理するように定められていた、ということである。
つまり主はご自身の土地を寄留者または旅人(「わたしと共にいる寄留者、また旅びと」)であるイスラエルの民に管理を委ねていたのだから、七年に一度、土地を休ませることによって、土地の所有権を持たない奴隷や雇人、そして寄留者である外国人、さらに家畜や獣に対して、神の恵みと富を分配するよう定めていたのである。
何という公義だろうか。要するに、この七年目の安息年によって、イスラエルの民も奴隷や雇人と同じように、主人である神の所有物の管理を任されている寄留者としての自覚を促されていたのである。耕作や収穫をしてはならず、土地を休ませなければならなかったのは、全てが主なる神に依存していることを民に知らしめるものであった。
奴隷や雇人は主人と共に休息し、主人の土地の産物を主人のように自由に食べることができたのである。
これは主イエス・キリストの僕であり、神の様々な恵みの管理人であるキリスト者が、やがて地上の務めを終え、主と共に休息し、主と共に永遠の祝福(命の木の実を食べる)を味わうことの予型である。
Ⅰコリント4:1-2
1 このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。
2 この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。
Ⅰペテロ4:10
あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
Ⅱテサロニケ1:5-7
5 これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。
6 すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。
7 それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。
へブル4:9-10
9 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。
10 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。
黙示録2:7
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。
ちなみに先日知り合ったユダヤ人ダヴィデ・パチフィチ氏に、この「七年目の安息年」に関して質問してみたところ、現在でもイスラエル国の領地に限定して、安息年が守られているということである。2014年(彼は「ユダヤ暦で5775年」という表現を使っていた!)に実際、実行されたと言っていた。
ただある人はアラブ人に土地を売ることで安息年でも耕作を続けたり、作物の不足分を海外からの輸入に頼ったりしているそうなので、この戒律の元来の意味から乖離して、形式化した伝統になっているのではないかと思う。
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