an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

自分の日を正しく数える

 人の命がもし生物学的な存在でしかないのなら、4分58秒に凝縮されてしまう生理的推移にどんな意味があるのだろう。しかし、確かにこの映像は、観る人の心に何か、驚き以上の深い想いを与えてくれる。

 70年の歳月のうち、少なくとも20年近くは睡眠のために費やし、残りの50年に関しても、眠っている状態よりも与えられた命を自覚し、責任をもって費やしたと言い切れる時間は、どのくらいあるだろうか。全てをリアルに経験してきたはずだが、それは全て影のようでもある。

 神の人モーセの祈りを思い出す。一部だが引用してみたい。

詩編90:3-12(新改訳)

3 あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」

4 まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。

5 あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草のようです。

6 朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。

7 まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。

8 あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。

9 まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。

10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

11 だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。

12 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

 自分の日を「正しく」数えることとは、どういう意味か。他の誰かがあなたの代わりに「正しく」数えることはできない。あなたがあなたのために主に祈って、尋ねて行くしかないのである。