「聖書の預言」と「偽預言者」
Ⅱペテロ1:19-21;2:1-3
19 こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。
3 彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。
章ごとに区切って聖書を通読する弊害は、章をまたがって啓示されている真理の十分な意味を汲み取ることを邪魔してしまうことにある。例えば今回引用した第二ペテロの1章と2章は、「しかし」という逆接の接続詞によって「書き記された聖書の預言」と「偽預言者」が対置されている。
聖書の預言は「暗闇に輝くともしび」だが、偽預言者は「暗闇の中で欺き、利を貪り、追従者を滅亡へ至らせる」。「聖書の預言」が決して人間の意志から出たものではなく、聖霊の導きにより、神によって語られたものであるのに対し、「偽預言者」は人間の果てしない貪欲によって、滅びに至らせる異端の教えを「ひそかに」持ち込むのである。これは正しい教えを認識しながらも、それとは異なる教えを他の人には気付かれないように隠れて持ち込むという、明確な人間の意志、しかも邪悪な意志によるものであることを示している。なぜなら聖書の預言による教えの正しさを認識しているからこそ、自分の持ち込もうとする教えがそれとは異なるということを自覚できるのであって、その自覚があるからこそ、「ひそかに持ち込む」方法を取るのである。
それゆえ、これらの偽預言者は聖書の教えのことを全く知らない、またその正しさを認めないような者でなく、それを知りつつも微妙かつ致命的に異なる教えを意図的に紛れ込ませる「内通者」である。
だからこそ使徒ペテロは、「あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう」と言い、さらに「彼らは・・・自分たちをあがなって下さった主を否定して」として、兄弟姉妹の交わりの間に現れる偽教師が、主イエスに対する信仰によって贖いを経験していた者であったことを明記しているのである。
それは同じ章の以下の聖句からも理解できる。
2:13
彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。
2:18-20
18 彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
19 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
またこの啓示は、使徒パウロがエペソの教会の長老たちに語った言葉によっても確認できる。
使徒20:28-30
28 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
29 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
30 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。
例えば誰かがいきなり兄弟姉妹の集まりの所へ行って、「スパゲッティー・モンスター教」について説いたとしても、誰も真に受ける信者はいないだろう。しかし同じ兄弟姉妹が通う教会の牧師が「神のしもべイエス様が父なる神に従って全てを十字架に捧げたように、私たちも主なる神によって召され、教会の上にたてられた権威に従い、すべてを捧げて仕えましょう」といくつかの聖句を引用しながら什一献金を求めたら、「アーメン。私も頑張らなきゃ」と思ってしまう兄弟姉妹も出てくるだろう。
私たちは聖書の総合的な学びをもっともっと深め、「本物の教え」を知ることによって「偽の教え」を見極める霊的識別の賜物を求めるべきだし、また自分も同じ過ちに陥らないように祈り求める必要がある。
Ⅰテサロニケ5:16-24
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
19 御霊を消してはいけない。
20 預言を軽んじてはならない。
21 すべてのものを識別して、良いものを守り、
22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
24 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
マタイ7:13-20
13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
Ⅰコリント10:12
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
ガラテヤ6:1
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。