使徒14:24-28
24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、
25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、
26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。
28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。
第一次伝道旅行を終え、シリアのアンテオケに戻ってきたバルナバとパウロは、いわゆる「宣教活動報告集会」を開き、そこで「神が彼らと共にいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」を報告した。これは現代において宣教師が自分を派遣したり、資金的サポートを提供している教会や団体に対して報告するのと似たようなものであろう。
その後、二人はアンテオケに留まり、「かなり長い期間を弟子たちとともに過ごした」とある。どのくらいの期間だったかは明らかにされていないが、二人は他の兄弟姉妹と共に、その町で信仰生活を送っていた。
そして神の祝福を受け、安定していたと思われるアンテオケ教会にも、非常に狡猾な攻撃が襲ってきた。むしろアンテオケの集会が主の祝福を受けていたからこそ、以下のような恵みの根底を覆すような攻撃があったのだろう。
使徒15:1-2
1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。
これは後に使徒パウロが『ガラテヤ人への手紙』や『ローマ人への手紙』などで厳格に論駁している、「信仰のみによる義認」を脅かす教えであった。つまりユダヤ地方からアンテオケにやってきたユダヤ人たちは、「イエス・キリストを信じるだけでは救われない。信じた後にモーセの律法を守り、割礼を受けなければ救いは全うされない」と主張していたのである。
これらの「ユダヤから下ってきたある人々」(1節)のアイデンティティの詳細は明らかではない。ユダヤ教を信じていた人々だったか、それとも御子イエスをメシアと受け入れていたユダヤ人だったのか明確ではないが、エルサレム会議においても同じ主張をした人々がいたことが書かれているので、エルサレムやユダヤ地方の信徒たちの間でも、福音の理解において混乱があったようである。
使徒15:5
しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
使徒パウロは、このように割礼を強いようとしていた「パリサイ派の者で信者になった人々」を非常に厳しいトーンで「忍び込んできたにせ兄弟ら」と見做していた。
ガラテヤ2:4
それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。
結局、このエルサレム会議によって「恵みの福音」を基にした議決がなされ、当時の全教会でその指針が共有されることとなった。
使徒15:22-35
22 そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
23 この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。
24 こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。
25 そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。
26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、
27 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。
28 すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。
29 それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。
30 さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。
31 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。
32 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
33 ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。〔
34 しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕
35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。
(以下、エルサレム会議の決定事項の関連記事)
最後の35節を読むと、アンテオケの教会は問題の芽を摘んだことで、安泰になったとも読めるが、実際にはこのパウロとバルナバがアンテオケに滞在している間、つまり使徒パウロがバルナバと決別して第二次宣教旅行に出発するまでの期間に、さらに内側から指導者的立場の使徒たちに対するサタンの狡猾な攻撃があったのである。
ガラテヤ2:11-14
11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
何とエルサレム会議において実に力強い弁証をした使徒ペテロだけでなく、アンテオケ教会のユダヤ人クリスチャン、さらにバルナバまでもが、強烈な偽善の誘惑に陥りそうになっていたのである。
「わたしは衆人の面前でケパに言った」 これは「全員の前で」というニュアンスである。つまりアンテオケ教会に集まっていた兄弟姉妹の前で、使徒パウロが十二使徒の一人ペテロを戒めたという意味である。これはパウロの対応は絶対に必要だったことだが、状況の深刻さを十分に把握できていなかった信徒たちにとっては、緊張をもたらすものだったことが想像できる。
その後、パウロはバルナバに第一次宣教旅行の時に開拓した教会を訪問する提案をするが、「マルコというヨハネ」(福音書記者マルコ)のことで二人の意見が分かれ、別行動をとることになる。
使徒15:35-41
35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。
36 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。
37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。
38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
41 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。
『使徒行伝』筆者のルカが、「激論が起こり」と表現していることが生々しい。彼ら二人を第一次宣教旅行に送り出したアンテオケ教会が困惑し、様々な意見に分かれたのは当然だろう。そして「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」とあるのは、使徒パウロに同行していたルカが、この件に関するパウロの選択に同意していたことを暗示しているのかもしれない。
いずれにせよ、平和の神はこのような問題にも介入し、晩年のパウロにとってマルコが「同労者」であり、「努めに役に立つ」存在として、信頼関係を築き上げるまでに導かれたのである。
ピレモン1:24
わたしの同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく。
Ⅱテモテ4:11
ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。
このようにアンテオケの教会は、実に霊的で素晴らしい実を結んでいたが、それは誘惑や分裂の問題がなかったことを意味してはいない。むしろ、そのような難しい数々の問題を通して、主なる神の真実と愛と義が、私達に対しても証しされている。