自分から語るのではなく、その聞くところ語り
新年明けましておめでとうございます。
ヨハネ16:12-15
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
「それ(真理の御霊)は自分から語るのではなく、その聞くところ語り…」
「御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせる…」
御子イエスを信じる全ての者のうちに宿ることが約束されている真理の御霊が、自分から語ることができるにもかかわらず(御霊は三位一体の神の第三位格である)、「御子から聞き、その聞いたことを語る」という態度をもっているのは、非常に重要な啓示である。
三位一体の神のうちの御子と御霊の関係に、時間の概念や知識の不足を適用することはできないだろうが、ここには聖霊の「自分では動かず、御子の啓示を待つ姿勢」が暗示されている。聖霊に満たされ、導かれている人々の特徴の一つとして「静かな畏敬の念」と「謙虚さ」が伴うのは、彼らの心に宿る聖霊がもつこの姿勢から派生するものである。
シリアのアンテオケ教会における聖霊の働きを分析すると、さらに意味深い。
使徒13:1-3
1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。
2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。
3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。
使徒14:26
そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。
バルナバとサウロ(使徒パウロ)の心を満たし、彼らを導いていた聖霊は、彼らを通して「教会の皆さん。聖霊が今私たちに語りかけ、私たちを海外宣教のために聖別してくださいました」と語ることを選ばなかった。
むしろ教会に集まっていた一同の中から、聖書には名の記されていない信仰者の口を通して、教会全体に「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と語りかけた。
さらにその預言を聞いた後、「断食と祈とをして」自分たちが聞いた言葉が神から来たものかどうかを確認したうえで、「手をふたりの上に置き」つまり教会の複数、もしくは全員の人々が承認と祝福のしるしとして二人の上に手を置き、神の祝福を祈ってから二人を送り出したのである。
新しい一年の始まりにあって、私たちのうちに宿る聖霊の「自分から語るのではなく、その聞くところ語り」というあり方の霊的本質をより意識し、祈りの中で畏敬の念をもって「御声を待つ心」を大事にしたいと思っている。