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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

目を覚まして倦むことなく

ガラテヤ2:11-14

11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。

12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。

13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。

14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 

 確かにケパ(使徒ペテロ)も、エルサレム教会の長老ヤコブも、バルナバも、使徒パウロと共にエルサレム会議に参加し、「救いはモーセの律法の行いによらず、恵みによって与えられる」という、自分たち自身も実体験してよく知っていた福音の核となる真理に関して、一同合意していた。ペテロも、ヤコブも、バルナバも、福音の真理のために立ち上がり、全教会の前でそれを擁護した。

使徒15:7-22a

7 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。

8 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、

9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。

10 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。

11 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。 

12 すると、全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。

13 ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。

14 神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。

15 預言者たちの言葉も、それと一致している。すなわち、こう書いてある、

16 『その後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を建てかえ、くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。

17 残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。

18 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。

19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。

20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。

21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。

22a そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。 

 そしてその決議を書いた手紙を読んだアンテオケの教会の信徒らも、それを喜んで受け入れた。

使徒15:30-31

30 さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。 

31 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。 

 それにもかかわらず、その決議からどのくらい時間が経ったかはわからないが、いつの間にか、ペテロも、エルサレム教会からアンテオケ教会へ訪問に来た信徒らも、アンテオケ教会のユダヤ人信徒らも、そして異邦人の救いのために命の危険さえ恐れなかったバルナバまでも、その福音の真理の道から外れ、人の目を恐れる罠と偽善の脇道に引きずり込まれてしまったのである。

 確かに人間の心の内には、たとえその心が主イエス・キリストの絶大な恵みを体験し、確かな霊的知識を備え、それを交わりの中で分かち合い、喜び合う心であったとしても、それらを冷ややかにあざ笑うような恐ろしい「肉」の性質が隠れている。私たちが光の中で聖書の真理を高らかに告げるときも、他人を励ます言葉を書き送るときも、兄弟姉妹の霊的交わりを喜んでいるときも、それは心の片隅の牢獄の中に潜んでいて、死んだふりをしながら、「誰かが」そして「何かが」扉を開けに来るのを待っているのである。

 もし私たちがその隠れた「ケモノ」と戦おうと動き出せば、それは悪魔の思う壺である。私たちがなすべきことは、ただ信仰によって「キリストの死の中に自分のすべてを沈め」(水のバプテスマを思い出してほしい)、そのうちに「身を隠すこと」である。それによって、「キリストの復活の命の力」が与えられ、使徒パウロが勇気をもって一人、偽善の力に立ち向かったように、私たちも自分たちの力ではなく、聖霊の力によって勝利できるのである。

ローマ6:3-14

3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。 

エペソ6:10-18

10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。

11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、

15 平和の福音の備えを足にはき、

16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。

17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

 

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