使徒ペテロの人生を導き支えた聖霊の働き
Ⅰペテロ1:1-2
1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに離散し寄留している人たち、
2 すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。
Ⅰペテロ5:12-14
12 わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。
13 あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。
14 愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように。
『ペテロの第一の手紙』は、ガリラヤ湖畔の村ベツサイダの漁師であったシモン(マタイ4:18-20)が、御子イエスに十二使徒の一人として選ばれ、約三年半に及ぶ宣教活動に同行し、御子の十字架の死と復活ののち、ペンテコステの祭の日に聖霊に満たしを受けて福音宣教を開始してから約三十年後の西暦64年頃に、シルワノの助けを借りて書き記されたものだと言われている。
三十年という月日を長いとみるか短いとみるかは別としても、ペテロは西暦67年か68年頃には殉教したと言われているから、福音の使徒としての人生の晩年にこの手紙を書いたことがわかる。
これは非常に興味深い点である。つまり使徒ペテロはペンテコステにおいて聖霊の満たしを受けた直後に、天からインスピレーションを受けて御子の奥義を一気に書き記したのではなく、また伝道者ピリポの働きによって救われたサマリヤの人々が聖霊の満たしを受けるようにペテロとヨハネがすぐ遣わされたように、使徒パウロの宣教の働きによって小アジアの人々が救われた直後に、その地方の教会にこの手紙を書いたわけではなかった。御霊自身が定めた時期と状況で、使徒ペテロに手紙を書き送ることを命じ、彼とシルワノ(この手紙が通常のコイネーよりもより洗練された文芸体で書かれているのは、シルワノの貢献によるものでないかと言われている)に霊感を与えたのである。
つまり聖霊と共にペテロが歩んだ約三十年間の様々な経験や蓄積された知識が根となり、幹となり、枝となって、聖霊の霊感によって迫害下にある教会を励ます手紙という実を結んだのである。
ペンテコステ以降、エルサレムの宗教権威者たちの脅しや侮蔑も気にせず、知恵と力に満ちて大胆に福音を語っていたペテロは、聖霊の不思議な導きによって異邦人のコルネリオの家に福音を語りに行った時初めて、御子の福音の普遍性を実際的に悟ったのだった。
使徒10:28-29;34-36
28 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
34 そこでペテロは、口を開いてこういった。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、
35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。
36 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
他の使徒たちよりも先に「神はユダヤ人も異邦人も偏り見ない」ことを体験したペテロは、エルサレム会議でこれまた大胆に律法主義的ユダヤ人信仰者を戒めていたにもかかわらず、その後しばらくしてシリアのアンテオケ教会によって、自ら糾弾した偽善の罠にかかりそうになった。
使徒15:7-11
7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
ガラテヤ2:11-14
11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
もし使徒パウロが「福音の真理に従って真っすぐ歩いていなかった」使徒ペテロたちの偽善を見ながら、面と向かって叱責しなかったとしたら、エルサレム会議において激しい議論の末に教会の間で認識された「ユダヤ人も異邦人もただ恵みによって救われる」という福音の核心が脅かされていたことであろう。
実際、「異邦人信仰者も、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」という「にせ兄弟たち」の教え(使徒15:1)は、「パリサイ派から信仰にはいってきた人たち」にして「救いを受けた異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」という主張となり教会の中に論争を生み(使徒15:5)、アンテオケ教会においては「異邦人信徒たちとの交わりから身を引き、一緒に食事しない」という、より悪巧な行動に顕れ、教会を福音の真理から逸そうという誘惑となっていた。
ガラテヤ2:4-5
4 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。
5 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。
つまり使徒ペテロは、主イエスの恵みによる救いの福音の真理を十分に知りながらも、それまで歩んでいた福音の真理の道から逸れていってしまう危険の中を歩んでいたのである。しかし使徒ペテロは、使徒パウロを通して働かれた聖霊による矯正を遜って受け入れた。それゆえ、彼は最後まで福音の真理に根差し、その真理に仕えて行くことができたのである。
しかし使徒ペテロや使徒パウロ、そして初代教会がその都度、対面し、戦っていた対象は、「にせ兄弟」や「パリサイ派から信仰に入ってきた人々」、「偽善に引き込まれかけていたペテロやバルナバ」という個人というよりも、またその人々が主張していたり、影響を受けていた教えでだった以上に、それは霊の戦いであった。実際、使徒パウロは信仰者が向き合わなければならない「霊の戦い」について、彼の書簡において言及している。
エペソ6:10-18
10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
15 平和の福音の備えを足にはき、
16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
様々な状況で、様々な形で顕れる悪魔のあらゆる策略に対して、神の武具の全てを使って戦っていたのである。
私は今回、現在のトルコ領にあたるポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤ地方に散在していた教会に対する、神の深い愛と力強い介入を示され、改めて主なる神のキリストの花嫁である教会に対する愛に感動した。なぜなら、使徒パウロたちによる開拓伝道によって救われた人々は、同じパウロの数々の書簡(ガラテヤ、エペソ、コロサイ、ピレモン、エペソにいたテモテへの手紙)によって正され、励まされていたが、使徒パウロが悪名高いネロ皇帝によってローマで殉教したおそらく後には、今度は使徒ペテロと、使徒パウロの伝道旅行に同行したシルワノ(シラス)とによって書かれた手紙によって励まされていたのである。
さらに使徒ペテロの殉教の後、聖霊は流刑の島パトモスにいた使徒ヨハネに霊感を与え、小アジアの七つの教会へ手紙を書かせた。
黙示録1:9-11
9 あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
10 ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。
11 その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。
このように、使徒ペテロの30年以上の福音宣教者としての人生を導き、支え、守ってきた聖霊は、ひとりの奉仕者の貢献を遙かに超えて継続的に働き、御子キリストの教会を愛し、全ての真理に導き、支えていたことが証しされている。
そのような聖霊の力を知っていた使徒ペテロが、彼の最後の手紙で書いている励ましの言葉は、聖霊の働きとその目的を考慮して読むと、実に力強く、恵みと確かさに満ちている。
Ⅱペテロ1:3-8
3 いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。
4 また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。
5 それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、
6 知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、
7 信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。
8 これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。