Ⅰヨハネ4:1-3
1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
「神からの霊」「人となって来たイエス・キリストを告白する霊」と言っても、数々な霊があるというわけではなく、要するに聖霊のことである。なぜなら御子イエスの聖なる名によって父なる神が地上に遣わした霊は、聖霊の他ないからである。
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
ヨハネ15:26
わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
ヨハネ16:13-14
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
つまり「人となって来たイエス・キリストを告白する霊」とは、ただ単に「イエス・キリストの名前を口にする」とか「イエス・キリストが人間としてこの地上に実在したという知識をもつ」という意味ではなく、聖霊によってイエス・キリストが真理であり、彼の教えもまた真理であることを証し、自分や組織を誇るのではなく聖霊が御子に栄光を帰するように御子の栄光だけを誇ることである。「告白する【ὁμολογέω homologeō, homo (same) + logos (said, topic, doctrine,cause, intent, talk)】」という動詞は、そのような意味に解釈すべきである。