使徒1:1-5(新改訳)
1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、
2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
4節の「私から聞いた父の約束」は、5節の御子が復活後に語った言葉を指しているのであって、最後の晩餐の時に御子が弟子たちに啓示した聖霊に関する数々の約束を指しているのではない、という意見があるが、いくつかの観点で検証してみよう。
- 第一に通常の読みで理解できることだが、4節の御子の命令は「父の約束を待ちなさい」であり、「私から聞いた」は「父の約束」の修飾句である。つまり「父の約束を待ちなさい」が主体であり、「私から聞いた」はその「約束」の補足説明である。
- 新改訳で「聞いた」と和訳されている【ἠκούσατέ ēkousate】(アオリスト 直説法 能動相 第二人称 複数)は、単に弟子たちが過去に御子から聞いたという動作を表現しているのであって(マタイ5:21や27の用法と共通している)、過去完了形や未完了過去のように「ある時点で聞いた」とか「聞いていた」というような時に関する概念は含まれていない。それゆえ、過去のどの時点で聞いたかの問題ではなく、間違いなく弟子たちが御子から聞いたという「父の約束」が重要なわけである。
- その約束というのは、5節にあるように「聖霊のパプテスマ」であり、ペンテコステの日に使徒ペテロによって公に証しされた。
使徒2:33
ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
しかしそれはただ単に聖霊によってペンテコステの日に起きた一つの出来事に限定されるものではなく、聖霊自体が賜物、つまり父なる神のプレゼントであることが「約束」として啓示されている。
使徒2:38
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
使徒パウロも書簡の中で、聖霊のことを「約束の御霊」と呼んでいる。
ガラテヤ3:14
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
エペソ1:13
またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
このように「父の約束」が意味することを理解すると、御子は自身の地上宣教において、何度もそのことについて弟子たちに語っていることがわかるのである。
ルカ11:13
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
ヨハネ14:16-17
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネ15:26
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
また御子イエスの地上宣教において、仮庵の祭の時に、御子は十字架の死と復活、そして栄光を受けた後に、御子を信じた人々が受けることになる御霊に関して、その約束が「聖書に書いてあるとおり」のものであることを告げた。
37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
つまり「父の約束」は復活後に初めて語られた内容ではなく、所謂『旧約聖書』の中に予め記されていたものであったことを証している。これは、ペンテコステの日に「父の約束」の聖霊のバプテスマを受けたペテロが、旧約聖書のヨエルの預言を引用していることとも共通している。
使徒2:14-21
14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
さらに聖霊のバプテスマの約束に関しては、御子が地上において公に宣教活動を始める前の段階に、バプテスマのヨハネによって告げられていた内容である
マタイ3:11
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
そのヨハネの証しは、御子自身の上に聖霊が下ることによって、父なる神から来たものであったことが証明された。
ヨハネ1:32-34
32 またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
33 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
34 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
使徒パウロが福音宣教においてエペソでとった行動は、そのバプテスマのヨハネによって啓示されていた約束に従ったものであった。
使徒19:1-7
1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、
2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
7 その人々は、みなで十二人ほどであった。
このように新約聖書を総合的に確認すると、御子が弟子たちに語った「父の約束」である聖霊のバプテスマは、御子の復活の後だけに啓示されたものではなく、旧約聖書によって予め預言され、バプテスマのヨハネによって証しされ、また御子の地上宣教期間を通して何度も語れていたものであり、ペンテコステの日に成就し、その後の使徒たちの福音宣教に伴っていたことが確認できるものである。
そしてその「父なる神の約束」は、時空を超えて信じる者全てを対象にした恵みの約束である。
使徒2:38-39
38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。