an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

律法によって「主の名を汚す者」と断罪された御子イエス

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ヨハネ19:6-7

6 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。

7 ユダヤ人たちは彼に答えた、「わたしたちには律法があります。その律法によれば、彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当る者です」。 

 御子イエス・キリストの死は、何か偶発的な事故に巻き込まれた不運の出来事でも、無差別テロの巻き添えになった悲劇でもない。当時のユダヤ教の最高権威者たちがモーセの律法に基づいて、イエスが「死罪に値する者である」と断罪したことによるのである。一人の宗教家が「天からの啓示」を受けて独断で決定したのではなく、多数の祭司長たちや律法学者らが律法に基づいて審議し、死罪に定めたのである。

 その根拠とは何だったのか。「主イエスが自分を神の子としたから」であった。

ヨハネ5:17-18

17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。

18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。

ヨハネ10:30-33;36

30 わたしと父とは一つである」。

31 そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。

32 するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」。

33 ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。

36 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。 

マルコ14:61-64

61 しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。

62 イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

63 すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。

64 あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。

 つまり御子イエスが自分の真のアイデンティティーに基づいて行動し、真理に従って発言していたことを、祭司長や律法学者は律法によって「神を冒涜する行為」「神を汚す者」と断罪したのである。

レビ24:16

主の名を汚す者は必ず殺されるであろう。全会衆は必ず彼を石で撃たなければならない。他国の者でも、この国に生れた者でも、主の名を汚すときは殺されなければならない。

 しかもその死は、石打の刑ではなく、十字架の磔刑という「律法によって神に呪われた死」であった。

ガラテヤ3:13

キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

申命記21:22-23

22 もし人が死にあたる罪を犯して殺され、あなたがそれを木の上にかける時は、

23 翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。

 これは一体、何を意味するのだろうか。それは、罪びとである人間が神の戒めに従って善きことをなし、悪しきことをなさぬように自分の力でどれだけ努力しても、そしてたとえその努力と精進がその人を「神の子のように」したとしても、同じ神の戒めに基づく人間の判断によっては「神を冒涜する行為」「神を汚す者」としか見なされないのである。これはもちろん、律法自体に問題があるのではなく、それを適用する人間に問題があるからだ。誰ひとり、律法に基づく自分の努力では、「神の子」にはなれない、つまり「神に義とは認められない」のである。

 使徒パウロは、この重要な真理を何度も繰り返し書き記している。

ローマ3:19-20

19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。  

ガラテヤ2:16

人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。 

ガラテヤ3:11

そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

 しかし神は、御子の贖罪の死を信じるその信仰によって、私たちに「神の子」となる恵みを備えてくださった。それは信仰によるのであって、決して律法を行うことによるものではないのである。

ガラテヤ3:26-29

26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。

28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

ヨハネ1:12-13

12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 

13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 

ローマ8:16-17

16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 

Ⅰヨハネ3:1-3

1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。 

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。

 律法を必死になって守る努力によって「神の子」という地位を獲得するのではない。主イエス・キリストによる神の愛によって「神の子として父なる神に受け入れられた」から、御子が聖いように御子に似た者になろうと努めるのである。