大患難期半ばに起きる出来事
黙示録11:3
そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
主イエスの二人の証人は、エルサレムで千二百六十日、つまり三年半の間、預言することになっている。そしてその証しの期間が終わると、「底知れぬ所からのぼって来る獣」によって殺される。
黙示録11:7-8
7 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
8 彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
しかし三日半の後、二人の証人は神の命の息によって生き返り、旧約聖書のエノクのように天に上る。
黙示録11:11-12
11 三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
12 その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
そして第七の御使いがラッパを吹き鳴らす。
黙示録11:15
15 第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。
そして巨大な龍、すなわち、悪魔、サタンが地に投げ落とされ、獣、つまり反キリストに四十二か月の間(つまり三年半)活動する権威が与えられる。
黙示録12:9-10
9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
黙示録13:1-5
1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
その三年半の間、獣と呼ばれる反キリストは「聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられる」ことになる。つまり反キリストはこの期間に地上を完全に支配し、地上に残っている聖徒(地上に遣わされた十四万四千人のイスラエル人は、民族的にはイスラエルの十二部族に属するが、主イエスをキリストと信じ、従っている人々などで、ヨハネやペテロ、パウロなどと同じようにユダヤ人キリスト者である)を捕らえ、殺すことが許されることになるのである。「勝つことが許され」「権威が与えられた」ということは、「獣の四十二か月の活動」が神の計画と統治の中にあり、また地上における聖霊の働きの変化を暗示している。
黙示録13:6-10
6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
9 耳のある者は、聞くがよい。
10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
要するに以下の出来事が、ちょうど七年間の大患難期の真ん中で起きるだろうことがわかる。
- 二人の証人が三年半の地上におけ預言の働きを終え、反キリストの殺され、生き返り、天に引き上げられる。
- 第七の御使いがラッパを吹き鳴らし、「神の御名を畏れる者たちに対する報いと、地を滅ぼす者を裁く裁きの時」の到来の告知する。
- 反キリストの地上における三年半の活動が始まる。
これは『第二テサロニケの手紙』2章にある啓示と重なる要素がある。この文脈は、テサロニケで「主の日はもうすでに来た」と偽る人々がいたことに対して、主の日の到来の展開を段階的に説明したものである。(「主の日」がある二十四時間の一日ではなく、主なる神の義が完全に顕れる一定の期間であることを検証した記事はこちら。)
Ⅱテサロニケ2:1-12
1 さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。
2 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
5 わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。
6 そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。
7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
8 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
10 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
11 そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
使徒パウロが西暦一世紀半ばの段階で「いま阻止しているもの」と言っているから、終わりの時にエルサレムで預言する二人の証人そのものを指しているのではないことは明らかである。「地上においてキリストのことを証しする証人」について全般的に語っているのかもしれない。それなら使徒パウロの時代から継続的にどの時代にもあるからである。聖霊によってキリストを証する働きの存在が、不法の者が自由に働くことを阻止していることは確かだろう。
この「いま阻止している者」を聖霊と解釈する意見もある。勿論、聖霊は神の霊であり、彼がいない場所というの存在しない(詩篇139篇 参照)。だから「いま阻止している者が取り除かれる」を聖霊に適用する場合は、地上における聖霊の働きが変わり、主イエス・キリストの復活によって聖霊が信者の心に継続的に与えられる恵みの時代以前の状態、つまり旧約時代の聖霊の働きのような限定的な状態になることを意味するのかもしれない。
なぜなら反キリストが出現した後も、地上には「兄弟」「聖徒」と呼ばれる信仰者をいることが書かれていて、しかもそれらの人々は反キリストによって必ず殺されることになることも預言されているからである。
黙示録12:7-11
7 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、
8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。
9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
11 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
黙示録13:7-10
7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
9 耳のある者は、聞くがよい。
10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
黙示録13:15
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
そして黙示録7章においては地上にいたイスラエルの十四万四千人の証し人が、14章においては天の御座の前で賛美していることも興味深い。
黙示録14:1-3
1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。
2 またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
3 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。
そして地上には神の福音を宣べ伝える証人がいなくなったことを暗示しているかのように、一人の御使いが中天から永遠の福音を宣べ伝えることになる(本来、福音宣教は救われ、全世界に遣わされた罪びとに委ねられているはずである)。
黙示録14:6-7
6 わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、
7 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。
そして最後にその御使いの福音宣教を信じた者が、地上に降り注ぐことになる「神の激しい怒り」「最後の七つの災害」(黙示録15:1)に巻き込まれないよう、「刈り取り」が主イエス・キリスト自身で行われることになる。
黙示録14:13-16
13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
14 また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。
15 すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。
16 雲の上に座している者は、そのかまを地に投げ入れた。すると、地のものが刈り取られた。
ここで一つの疑問が生じる。つまりこの「主イエス自身による地の実の刈り取り」の後、主イエスは地上を裁くために来臨するのだが、Ⅰテサロニケ4:15の「生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたち」が空中来臨ではなく地上来臨を指しているなら、この「刈り取り」後の来臨時に地上に生き残っている信仰者が果たしているのだろうか、ということである。
そののち、最後まで獣に抵抗し、殉教した人々が主の御前で神のしもべモーセの歌と子羊の歌とを歌うことになる。
黙示録15:2-4
2 またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。
4 主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。
そして天の大群衆が「子羊の婚宴」に歓喜している。
黙示録19:6-9
6 わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
9 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
「イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々」と「獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々」が生き返り、キリストと共に千年の間、地を王として治めることになる。
黙示録20:4-6
4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。
大患難期の前半の三年半においても、七つの封印が解かれている段階でも、殉教や大災害などで地球の人口が四分の一になり、また巻物が開かれ、主の日が始まって第七のラッパと共に「反キリストの活動」と「最後の七つの災害」が始まるまでにも、三つの災害のために人類の三分の一が殺されてしまい(黙示録9:18)、単純に計算しても現在の人口の六分の一、おそらくそれ以下になってしまうことを考えるとき、「教会が大患難を通るか否か」という議論がどれほどの意味があるのか、疑問を感じるのはわたしだけだろうか。