「悔い改めよ」
エゼキエル18:30-32
30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
32 わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。
マタイ3:1-2
1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
2 「悔い改めよ、天国は近づいた」
マタイ4:17
この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
ルカ13:1-5
1 ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。
2 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。
3 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。
4 また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。
5 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
使徒2:38-39
38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
使徒3:19
だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。
使徒17:30
神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
「悔い改めよ」と促しているのは、父なる神であり、御子イエスであり、預言者や使徒たちの口を通して語っていた聖霊である。そして「悔い改めよ」と命じられているのは、私であり、あなたであり、そして地に生きるすべての人である。
当然、悔い改めなければならないのは、父なる神でも、御子でも、聖霊でもない。神は罪や過ちを犯さず、人間の罪に加担したり、人を誘惑したり決してしない。また国際社会でも、国家でも、会社でも、あなたが属する教団でも、あなたが毎週通っている教会でもない。創造主なる神の前で、それぞれの個人個人に与えられた責任である。(ああ、しかし私たちは何と多くの時間とエネルギーを、神をはじめ、自分以外のすべての対象の「責任追及」と「改善」のために費やし、自分の魂のことを疎かにしていることだろうか!)
主なる神は、分厚い神学書を何冊も持ってきて、「これらの本をしっかり読んで、悔い改めについて学びなさい」とは命じていない。また「『悔い改めにおける神の主権と個人の意志の役割』について、私に説明しなさい」とも命じていない。
聖霊は「悔い改めよ」と命じられている私とあなたの前に、私とあなたの罪が神の目にどのようなものであるかを示し、それと同時に、私とあなたの代わりに十字架にかけられたキリストを目の前に啓示するのである。
キリストとその御言葉に対する、幼子のようなシンプルで純粋な思いを大切に守ろう(Ⅱコリント11:3)。
ピリピ2:12-15
12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。
13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
14 すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。