an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヘブロンに関する考察(5)アブラハムの執り成し

  ヘブロンに関する考察(4)ヘブロンの住民の推移の歴史 - an east windowにおいて、聖書時代におけるヘブロンの歴史に関して記述したが、その後の推移を簡単に記し、このシリーズをまとめたい。

  • ヘロデ大王(紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、アブラハムやイサク、ヤコブらが葬られているマクペラの洞穴の上に、現存している建造物を建てた。現在でもその壁に向かって祈るイスラエル人の人々がいる。

f:id:eastwindow18:20151102010726j:plain

  • ユダヤ戦争の時期、エドム人のシモン・バル・ギオラはヘブロンを占領した。
  • 東ローマ帝国の時代にユスティニアヌスⅠ世は、上述のヘロデ大王の建造物の上にキリスト教教会を建造したが、サーサーン朝のホスローⅡ世によってその教会は破壊された。東ローマ帝国配下の時代は、ヘブロンにはユダヤ人は居住することはできなかった。
  • 638年にヘブロンはアラブ・イスラム教徒に占領された。
  • 1099年十字軍によって「アブラハムの町」と命名されたが、1187年にサラディンが十字軍を破り、ヘブロンの名前に戻した。
  • その後、ヘブロンはサラディンが創始者であるアイユーブ朝と、マムルーク朝によって支配され、1516年のオスマン帝国の支配下になるまで続いた。
  • 1834年8月にエジプトの軍人イブラーヒーム・パシャによって占領され、略奪された。1841年にパシャの支配から解放されたとき、約400人のアラブ人と120家族のユダヤ人がヘブロンにいた。
  • ウィキペディアの英語サイトを見ると、1500年代から現在に至るまでのイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の人口の推移の記録がある。
  • 二十世紀のヘブロンにおけるパレスチナ・アラブとイスラエルとの対立は、上述のサイトに概要が記録されているが、その中でも興味深い点は、1967年の六日戦争の後、ひとりのラビ(ユダヤ聖職者)Moshe Levinger に率いられたイスラエル人グループが、1968年にヘブロンの近郊に「キリアテ・アルバ」地区を建設し、入植したことである。指導者ヨシュアによって、当時キリアテ・アルバと呼ばれていた町が占領され、ヘブロンと呼ばれるようになったことを考慮すると、歴史とは実に皮肉的である。

f:id:eastwindow18:20151102010611j:plain

  現在(2015年11月2日時点)のヘブロンの緊迫した状況については、エルサレム在住の石堂ゆみさんのレポートを参考にしていただきたい。

煮えたぎる西岸地区・エルサレムでも市内テロ再び 2015.11.2|オリーブ山便り

ユダヤ人家族車銃撃で父・息子死亡:ヘブロン近郊 2015.11.14|オリーブ山便り

ヘブロン近郊銃撃テロ:結婚式直前に父を失った花嫁 2015.11.18|オリーブ山便り

イスラエルでテロ:計5人死亡 2015.11.20|オリーブ山便り

 

 このようにヘブロン(キリアテ・アルバ)の歴史の概要を考察してみると、この町が聖都と呼ばれるエルサレム以上に古くからイスラエルの民と深くかかわり、三千五百年以上の歴史の中で、ヘテ人やネピリムから出たアナク人をはじめ、エドム人、ローマ人、アラブ人、クルド人、トルコ人、エジプト人などに支配されてきた町でありながらも、ユダヤ人が追放されてはまた帰還するという歴史を繰り返してきたことがわかる。

 現在のヘブロンは、その名の持つ意味「友、一致、契約、同盟」には程遠い状態である。また報復者から命を守るための「逃れの町」というよりは、互いに憎しみあい報復しあう、「逃げ出さないと命が危ない町」である。そこにはエルサレムの神の宮で礼拝をささげるために選ばれていたレビびとはいないし、内戦状態であったイスラエルを治めたダビデ王もいない。パレスチナとイスラエルの抗争に和平をもたらそうとする政治的試みはことごとく失敗し、現在、状況は激化している。

 このような状況で信仰者にできる唯一のことは、パレスチナ人とイスラエル人の共通の父であり、キリスト者の信仰の父であるアブラハムが、マムレの木の下でしたことである。彼は、神の怒りが下ろうとしていたソドムの町の住民の救いのために、主なる神の前で執り成しの祈りをした(彼にとってソドムの町はどれほどの価値を持っていたのだろうか!)。彼らが一人でも永遠の滅びから免れることができるように、と(創世記18章)。

ヨハネ8:39

彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。

 間違いなくアブラハムは私たちが彼について想像している以上に主なる神のことを個人的に知っていただろう。それでも彼は、イエス・キリストの十字架の絶大なる恵みのうちに生きる私たちのようには、知ることができなかったのである。

 為し得ることはほとんど為し尽くしたかもしれないが、為すべきことは明らかである。

 

追記(2015年11月21日):ヘブロンは現在、どうやら「テロリストの巣窟」となってしまっているようである。人の命を奪い、自分の命を奪い、多くの家族を破壊し、人々に恐怖と憎しみの種を深く植え付ける。隣人を「生き地獄」に突き落として得られるという彼らの「パラダイス」とは一体何なのか。

 「そんなことをアブラハムはしなかった」という主イエス・キリストの言葉は重い。