エゼキエル書4章は、イスラエル建国に関する預言か。
『イスラエル、再建国68周年』http://www.dr-luke.com/freo/view/20160513083338の中で、Grant Jeffrey著『Armagedon-Appointed With Destiny』が引用して、1948年のイスラエル国家建立がエゼキエル書の預言の成就であると主張されて、その根拠となる「計算」が提示されている。
すなわち430日、1日は1年だから430年。ここから従順の年数である70年を引くと360年。レビ記に神は不従順に対しては7倍の裁きを行うとあるゆえに(Lev 26:18)、360×7=2,520年。聖書の1年は360日だから、2,520×360=907,200日。太陽暦に直すと907,200÷365.25=2483.8年。こでBC536年から数えると
-536+2483.8+1=1948.8(紀元0年はないことに注意)かくしてエゼキエルの予言は、AD70年の世界へのディアスポラ以降消失したイスラエルの1948年の再建国をもって見事に成就しているのだ!
(Grant Jeffrey, Armagedon-Appointed With Destiny, 1988)
しかし実際にエゼキエル書4章全体を読むと、その箇所がバビロニアのネブカデネザル王によるエルサレム攻囲の時期について語っていることがわかる。
エゼキエル4:1-17
1 人の子よ、一枚のかわらを取って、あなたの前に置き、その上にエルサレムの町を描きなさい。
2 そしてこれを取り囲み、これにむかって雲梯を設け、塁を築き、陣を張り、その回りに城くずしを備えてこれを攻めなさい。
3 また鉄の板をとり、それをあなたと町の間に置いて鉄の壁となし、あなたの顔をこれに向けなさい。町をこのように囲んで、その包囲を押し進めなさい。これがイスラエルの家のしるしである。
4 あなたはまた自分の左脇を下にして寝なさい。わたしはあなたの上にイスラエルの家の罰を置く。あなたはこのようにして寝ている日の間、彼らの罰を負わなければならない。
5 わたしは彼らの罰の年数に等しいその日数、すなわち三百九十日をあなたのために定める。その間あなたはイスラエルの家の罰を負わなければならない。
6 あなたはその期間を終ったなら、また右脇を下にして寝て、ユダの家の罰を負わなければならない。わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める。
7 あなたは自分の顔をエルサレムの包囲の方に向け、腕をあらわし、町に向かって預言しなければならない。
8 見よ、わたしはあなたに、なわをかけて、あなたの包囲の期間の終るまで、左右に動くことができないようにする。
9 あなたはまた小麦、大麦、豆、レンズ豆、あわ、はだか麦を取って、一つの器に入れ、これでパンを造り、あなたが横になって寝る日の数、すなわち三百九十日の間これを食べなければならない。
10 あなたが食べる食物は量って一日に二十シケルである。あなたは一日に一度これを食べなければならない。
11 また水を量って一ヒンの六分の一を一日に一度飲まなければならない。
12 あなたは大麦の菓子のようにしてこれを食べなさい。すなわち彼らの目の前でこれを人の糞で焼かなければならない」。
13 そして主は言われた、「このようにイスラエルの民はわたしが追いやろうとする国々の中で汚れたパンを食べなければならない」。
14 そこでわたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしは自分を汚したことはありません。わたしは幼い時から今日まで、自然に死んだものや、野獣に裂き殺されたものを食べたことはありません。また汚れた肉がわたしの口にはいったことはありません」。
15 すると彼はわたしに言われた、「見よ、わたしは牛の糞をもって人の糞に換えることをあなたにゆるす。あなたはそれで自分のパンを整えなさい」。
16 またわたしに言われた、「人の子よ、見よ、わたしはエルサレムで人のつえとするパンを打ち砕く。彼らはパンを量って、恐れながら食べ、また水を量って驚きながら飲む。
17 これは彼らをパンと水とに乏しくし、互に驚いて顔を見合わせ、その罰のために衰えさせるためである。
1節から3節は、エルサレムが包囲されることを目に見えるしるしとして表現するように命じられ、4節から8節は、預言者の横になった姿勢によってその時期の身動き取れない苦しみを表し、また9節から17節は、包囲の時期に飲み食いすることに困窮することを、それぞれ預言者自ら身をもって、民に対する視覚化した預言として示すよう命じられている。
祭司エゼキエルは、紀元前597年の第1回バビロニア捕囚によってエホヤキン王と共に連行されていた。彼が30歳の時、つまり紀元前592年頃、ケバル川のほとりで預言者としての召命を受けた。
エゼキエル1:1-3
1 第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た。
2 これはエホヤキン王の捕え移された第五年であって、その月の五日に、
3 主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。
つまりエゼキエルが召命を受けた時はまだ、ネブカデネザル王によるエルサレム攻囲も、それに続く陥落は実現しておらず、ユダヤ王国の地にはまだ王たちが生きていたのである(預言者エレミヤは、そのユダヤの地において人々に迫りくる破壊と悔い改めを説いていた。)
そしてエルサレム包囲の預言は、エゼキエルが主なる神から御言葉を受けた約4年後の第9年(紀元前588年頃)に成就したのである。
エゼキエル24:1-2
1 第九年の十月十日に、主の言葉がわたしに臨んだ、
2 「人の子よ、あなたはこの日すなわち今日の名を書きしるせ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した。
そして約1年7か月後にエルサレムは陥落し、主の宮と王の宮殿を焼き払われ、周囲の城壁をみな取り壊された。
エレミヤ52:4-14
4 そこで彼の治世の九年十月十日に、バビロンの王ネブカデレザルはその軍勢を率い、エルサレムにきて、これを包囲し、周囲に塁を築いてこれを攻めた。
5 こうしてこの町は攻め囲まれて、ゼデキヤ王の十一年にまで及んだが、
6 その四月九日になって、町の中の食糧は、はなはだしく欠乏し、その地の民は食物を得ることができなくなった。
7 そして町の城壁はついに打ち破られたので、兵士たちはみな逃げ、夜のうちに、王の園の近くの、二つの城壁の間の門から町をのがれ出て、カルデヤびとが、町を攻め囲んでいるうちに、アラバの方へ落ちて行った。
8 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追って行って、エリコの平地でゼデキヤに追いついたが、彼の軍勢がみな散って彼のそばを離れたので、
9 カルデヤびとは王を捕え、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王のもとに引いていったので、王は彼の罪を定めた。
10 すなわちバビロンの王はゼデキヤの子たちをその目の前で殺させ、ユダのつかさたちをことごとくリブラで殺させ、
11 またゼデキヤの目をつぶさせた。そしてバビロンの王は彼を鎖につないでバビロンへ連れて行き、その死ぬ日まで獄屋に入れて置いた。
12 五月十日に、――それはバビロンの王ネブカデレザルの世の十九年であった――バビロンの王に仕える侍衛の長ネブザラダンはエルサレムに、はいって、
13 主の宮と王の宮殿を焼き、エルサレムのすべての家を焼いた。彼は大きな家をみな焼きはらった。
14 また侍衛の長と共にいたカルデヤびとの軍勢は、エルサレムの周囲の城壁をみな取りこわした。
つまりエルサレム包囲の時期の後には、バビロニア軍から解放と国の再建ではなく、破壊と民の捕囚が起こっているのである。
それゆえ、エゼキエル書のエルサレム包囲の期間に関する啓示を、紀元前536年から(なぜこの年から数え始めなければいけないのか、その根拠も明確でない)西暦1948年のイスラエル建国までの長いに期間に適用することはできない。
しかもこの解釈は、御子イエスの受肉と十字架の死と復活、そしてその福音の啓示を拒否したゆえに西暦70年にローマ軍によってエルサレムが破壊され、イスラエルの民が離散するという神の計画の決定的に重要な出来事が、「不従順に対する罰の期間」のなかで全く考慮されておらず、また「計算」のプロセスに入っていないのである。
その他、レビ記26:18を根拠に「七倍の法則」として日数に七掛けしているが、聖句の「罪を七倍重く罰する」は必ずしも単純な数学的適用については語っていない。
レビ記26:18
それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。
以上のような理由で、私はGrant Jeffrey氏のエゼキエル書4章をイスラエル国家建立の根拠とする説は適切な解釈ではないと思う。