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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

クレニオの人口調査とキリストの生誕についての省察(1)

ルカ2:1-7

1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 

  この個所は、一般的に牧歌的なイメージで引用されることとは裏腹に、神学的にも現在に至るまで議論され続けている聖句である。

 まず第一の問題点は、第一節にある「皇帝アウグストによる人口調査の勅令」である。「全世界の」と書かれているが、勿論当時のローマ帝国領のことを指している。皇帝アウグストはその統治期間で、三回の全世界を対象とした人口調査を行った記録が残っている。紀元前28年と8年、そして西暦14年である。時系列上妥当だと考えられるのは、紀元前8年の人口調査である。

 しかし問題は、この「帝国全域の人口調査」が基本的にローマ市民権をもっていた人々が調査対象で、当時ヘロデ大王の王国に属し、ローマ市民ではなかったユダヤ人たちはその対象に含まれていなかったのである。だからナザレのヨセフは、この人口調査の対象ではなかったはずである。

 また二節には、「クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査」という記述がある。これについての唯一の情報源は、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』であり、その記録によれば、シリヤの総督クレニオが実施した人口調査は、ただ一回、西暦6年に皇帝アウグストがヘロデ・アルケラオスを追放したとき、ユダヤ・サマリヤ・エドムの土地がローマの直轄地区になったことがきっかけであった。この人口調査によって、新しく支配下においた国の資産を把握し、徴税による収入を算定するのが目的であった。このクレニオによる人口調査に関しては、すべてのユダヤ人が対象であったので、聖書の記述とは矛盾しない。しかし、である。このクレニオの人口調査が行われたのは西暦6年で、ヘロデ大王はすでに紀元前4年に死亡していたのである。これは明らかにマタイによる福音書との間で矛盾が生じる。

マタイ2:1-3;13-23

1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。

13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。

14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、

15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。

17 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。

18 「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。

19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、

20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。

21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。

22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、 

23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。 

 勿論、福音記者ルカは「最初の人口調査」と書いているので、ヘロデ大王が死亡する紀元前4年の前に、シリヤの総督クレニオがフラウィウス・ヨセフスの知らなかった(もしくは書き忘れた)人口調査を実施したのではないか、という意見があるが、クレニオが総督に任命されたのは西暦6年で、ヘロデ大王が死亡してから十年近く経った後なのである。

 この時系列上の問題に関して、神学者や専門家によって多くの言葉が費やされたが、私は強引な説明などするつもりはなく、ただ一つの解決していない問題として扱っている。次回は、キリストの生誕の時代背景に関して人口調査と関連つけて書いてみたい。そして今回の扱った問題とまとめて、冒頭の聖句について私なりの省察をしてみたいと思う。


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