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ナザレの謎(2)ナザレ村出身?

ナザレの謎(1) - an east window

 新約聖書において、「ナザレ」という町の名前は全部で12回使われている(マタイ2:23;4:13;21:11; マルコ1:9; ルカ1:26;2:4,39,51;4:16; ヨハネ1:45,46; 使徒10:38)

 特に興味深い節は、「ナザレのイエス」と訳されている原文を含むヨハネ1:45と使徒10:38である。

ヨハネ1:45

Alexandrian

ihsoun uion tou iwshf ton apo nazaret 

 

Young's Literal Translation

Jesus the son of Joseph, who is from Nazareth

 使徒10:38

Alexandrian

ihsoun ton apo nazareq

 

Young's Literal Traslation

Jesus who is from Nazareth

  さらに興味深い節は、マタイ2:23である。なぜなら「ナザレ」という名前と「ナザレ人」と和訳されている単語が同じ節にあるからである。

ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

kai elqwn katwkhsen eiV polin legomenhn nazaret opwV plhrwqh to rhqen dia twn profhtwn oti nazwraioV klhqhsetai

 しかし「ナザレ人」と和訳されている原語「ναζωραιος NAZORAIOS、もしくはその語尾変化形 NAZORAION, NAZORAIOU」は、新約聖書の中に単数形で18回、複数形で1回使われているが、上述のような「ナザレ出身の者」と訳するのは、文法上誤訳であると、多くの聖書学者や神学者、考古学者(キリスト教史教授アンブロージョ・ドニー二Ambrogio Donini - Wikipediaや、ロバート・エイセンマンRobert Eisenman - Wikipedia, the free encyclopedia、など)が指摘している。実際、「ナザレ出身の者」という意味の原語は、「ναζαρενοξ NAZARENOS」 となるはずだからである。

 しかし、主イエス・キリストがカぺナウムの会堂で穢れた悪霊に憑かれた人を解放したエピソードにおいて、マルコとルカは「ναζαρηνός Nazarēnos」と「ναζαρενοξ NAZARENOS」とほぼ同じの原語を使っている。

マルコ1:24

「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。 

ルカ4:34

「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。

 ただこの場合、イエス・キリストのことを「自分たちを滅ぼしに来た」「神の聖者」だと知って恐れ慄いていた悪霊たちが、「ナザレ村出身のイエス」と呼ぶというのも、よく考えてみれば不思議ではないだろうか。

 使徒24:5では、「ναζωραιων NAZORAION」と唯一複数形が用いられているが、その文脈では大祭司アナニアが、エルサレムの長老や弁護人テルトロと、使徒パウロのことをペリクス総督に対して訴えているところである。

使徒24:1-5

1 五日の後、大祭司アナニヤは、長老数名と、テルトロという弁護人とを連れて下り、総督にパウロを訴え出た。

2 パウロが呼び出されたので、テルトロは論告を始めた。「ペリクス閣下、わたしたちが、閣下のお陰でじゅうぶんに平和を楽しみ、またこの国が、ご配慮によって、

3 あらゆる方面に、またいたるところで改善されていることは、わたしたちの感謝してやまないところであります。

4 しかし、ご迷惑をかけないように、くどくどと述べずに、手短かに申し上げますから、どうぞ、忍んでお聞き取りのほど、お願いいたします。

5 さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。

 「ナザレ人らの異端のかしら」は、キングジェームス訳では「a ringleader of the sect of the Nazarenes:」とある。今風に言うなら「異端カルト集団の教祖」といった感じだろうか。しかし大祭司アナニヤやエルサレムの長老らは、元パリサイびとであった使徒パウロがナザレ村の出身でないことぐらいよく知っていたはずである。またローマ帝国の総督にとって、存在すらも知られていなかった無名の村の名を持ち出す意味がどれほどあったのだろうか。むしろ「ναζωραιων NAZORAION」は、「ナザレの町の出身者ら」という意味ではなく、何か違う宗教的・倫理的・社会的要素に基づいた意味を持っていたのではないだろうか。ペリクス総督に対する使徒パウロの弁明の中にある「道」という言葉が、それを暗示している。

使徒24:14,15

14 ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、

15 また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。 

 またペリクス総督も、その「道」に関してはかなりの知識を持っていた、と書かれている。

使徒24:22

ここでペリクスは、この道のことを相当わきまえていたので、「千卒長ルシヤが下って来るのを待って、おまえたちの事件を判決することにする」と言って、裁判を延期した。

 それでは、「ναζωραιος NAZORAIOS」とはどんな意味を持っていたのだろうか。

 

(3)へ続く