『ローマびとへの手紙』(3)神の福音は御子に関するものである
ローマ1:1-4
1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――
2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
使徒パウロはこの手紙の冒頭の数行で、自分が主人として仕えている御子イエス・キリストがどのような方で、使徒として神から選び別たれた目的である福音がどのようなものであるか、非常に端的に啓示している。
- 神の福音:この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。
- 御子:御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊におれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これが私たちの主イエス・キリストである。
福音は神のものであり、神から来るものである。そして旧約時代の多くの預言者を導き、来たるべき救い主としての御子を啓示し、その約束が成就したことを書き記したものである。御子自身が地上において語った通りである。
ヨハネ5:39
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
それはパウロが繰り返し証をしていた真理であり、ペテロやヨハネ、ピリポなど、他の使徒たちも書き記した啓示である。
使徒26:22-23
22 しかし、わたしは今日に至るまで神の加護を受け、このように立って、小さい者にも大きい者にもあかしをなし、預言者たちやモーセが、今後起るべきだと語ったことを、そのまま述べてきました。
23 すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。
使徒28:23
そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
ヨハネ1:45
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
Ⅰペテロ1:10-11
10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。
ヨハネ19:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。
福音は神のものである。神自身が人間を介さずに直接語り、書き残すこともできた。しかし神は御子を地上に遣わし、人間の言葉で語り、肉体を通して贖罪のわざを成し遂げ、弱さと限界をもつ弟子たちに、その証を記録することを任せた。御子自身が一人ですべての言動を完璧に書き記すこともできたはずである。またペンテコステの日に聖霊が弟子たちの口を通して、各国の言葉で証したように、主イエスは一人で世界中の言葉を使い、福音書を書き残すこともできたはずである。
このような制限多き方法をあえて選び、一人の人間の心に、知性に、人生に、そして人間の歴史に、深く介入して下さる神のその思いやあり方について、私たちは実にほんの僅かのことしか理解していないのかもしれない。