an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

板ばさみ

ピリピ1:21-23

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
22 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。
23 わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。

 使徒パウロは、「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている」と言いながら、自分の中にあるジレンマについて語っている。「肉体において地上に生き、実り多い働きをすること」と「この世を去ってキリストと共に永遠に過ごすこと」という二つの在り方に板挟みになっていたのである。

 残念ながら多くのクリスチャンのジレンマは、パウロの葛藤とは異なり、水平方向におけるものである。「この世か教会か」「カトリックかプロテスタントか」「福音派か聖霊派か」「什一献金をすべきか否か」といった具合である。

 私達はキリストを知り、キリストに生きることにもっともっと自分達の意識を集中すべきなのだろう。