『ローマびとへの手紙』(1)パウロ
ローマ1:1-7
1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――
2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
5 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、
6 あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである――
7 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
当時のローマ帝国の首都ローマにいた異邦人(ユダヤ人以外の人々)を中心とした教会に宛てた手紙を冒頭で、使徒パウロは挨拶の言葉を書き記している。ギリシャ語の原文によれば、この手紙の一番初めの言葉に使徒の名前が記されている。この点において、前田訳は原文の語順を忠実に守っている。
前田訳
パウロ、キリスト・イエスの僕、召されて神の福音のため選ばれた使徒から・・
「パウロ」この名前は、へブル語でもギリシャ語でもなく、ラテン語の名前である(使徒はローマ帝国の市民権をもっていた)。これは非常に意味深い。使徒パウロの本名は、へブル名で「サウロ」であった。これはイスラエルの初代の王サウロと同じ名前で、「求める者」という意味である。
このローマの信徒らに宛てた手紙で自己紹介をするあたって、使徒は「サウロ、キリスト・イエスの僕、・・・」とへブル語の本名を使い、自分が生粋のユダヤ人であることのプライドと「優越感」を誇示することもできた(勿論、それは福音的根拠を全く持たない選択だっただろうが)。
しかし、冒頭にローマで使われていたラテン語派生の名前「パウロ」(「小さい」という意味)を使うことによって、彼がローマにいる信徒らに対して持っていた深い愛情や霊的願望、共感を示したのである。
ローマ1:10-12
10 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。
11 わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。
12 それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。
「祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え」
「どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている」
「わたしは、あなたがたに会うことを熱望している」
「あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである」
「あなたがたの中にいて」
「あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うため」
これらすべての表現が、ローマの信徒らのところへ行き、彼らと共にいて、神の恵みの賜物を共に喜び、力づけ、励まし合いたいという使徒の純粋で謙虚な良心を示している。
それはまた、パウロ自身が提示する「イエス・キリストの僕」「神の福音のための使徒」「すべての異邦人の使徒」という彼のアイデンティティーの真正さと謙虚を証明している。それはイエス・キリストがこの世に来られたスピリットと共通している。
マルコ10:42-45
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
44 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
45 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。
ヘブライ語のカタカナ表記に固執し、ヘブライ性の優位を福音的根拠もなく主張し、異邦人の他人に教える人々がいる。しかし、自分の名前をヘブライ語名ではなく、手紙の受け取り人が生活していたローマで使われていたラテン語の名前で書いた使徒パウロの霊は、まさにこの世に仕えるために来られた御子イエスの霊によるものである。
ピリピ2:6-8
6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
(2)へ続く