an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ナダブとアビフの教訓

レビ10:1-3

1 さてアロンの子ナダブとアビフとは、おのおのその香炉を取って火をこれに入れ、薫香をその上に盛って、異火を主の前にささげた。これは主の命令に反することであったので、 

2 主の前から火が出て彼らを焼き滅ぼし、彼らは主の前に死んだ。 

3 その時モーセはアロンに言った、「主は、こう仰せられた。すなわち『わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現すであろう』」。アロンは黙していた。  

  このエピソードにおける神の裁きは、「厳し過ぎる」と思えるかもしれない。ナダブとアビフは、律法にあった戒めに反して祭壇の火以外のところからとった「異火」を使って香炉の薫香を焚いた「だけ」であったのに、主の前から出た火によって、生きたまま焼き滅ぼされてしまったのである。しかし、昨日の記事で引用したシナイ山で起きた事件を考慮すると、その神の裁きの本質が見えてくるのである。

  ナダブとアビフは、シナイ山の中腹で、モーセと父親アロン、そして七十人の長老たちと共に、受肉前の御子の顕現を見た。

 出エジプト24:9,10

9 こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。 

10 そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。 

11 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。 

  しかしその後、モーセが山の頂へ上り、四十日間神の律法、特に幕屋に関する詳細な指示を神から受けている間、「ここに留まれ」とモーセに命じられていた場所から離れ、山の麓で父アロンが造った金の子牛を拝む罪を犯した。

 それに対してモーセは、キリストの霊によって執り成しの祈りを捧げ、然るべき裁きは先送りになった。主なる神は、民が犯した重大な罪を見て見ぬ振りをしたのではない。ただキリストの霊によって、民を扱ったのである。

出エジプト32:31-35

31 モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。 

32 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。 

33 主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。 

34 しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。 

35 そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。

 非常に驚くべきは、この事件の後すぐ、主なる神はモーセにアロンとアロンの子らを聖別するように命じていることである。 

レビ8:12,13,30-36

12 また注ぎ油をアロンの頭に注ぎ、彼に油を注いでこれを聖別した。 

13 モーセはまたアロンの子たちを連れてきて、服を彼らに着させ、帯を彼らにしめさせ、頭巾を頭に巻かせた。主がモーセに命じられたとおりである。 

30 モーセはまた注ぎ油と祭壇の上の血とを取り、これをアロンとその服、またその子たちとその服とに注いで、アロンとその服、およびその子たちと、その服とを聖別した。 

31 モーセはまたアロンとその子たちに言った、「会見の幕屋の入口でその肉を煮なさい。そして任職祭のかごの中のパンと共に、それをその所で食べなさい。これは『アロンとその子たちが食べなければならない、と言え』とわたしが命じられたとおりである。 

32 あなたがたはその肉とパンとの残ったものを火で焼き捨てなければならない。 

33 あなたがたはその任職祭の終る日まで七日の間、会見の幕屋の入口から出てはならない。あなたがたの任職は七日を要するからである。 

34 きょう行ったように、あなたがたのために、あがないをせよ、と主はお命じになった。 

35 あなたがたは会見の幕屋の入口に七日の間、日夜とどまり、主の仰せを守って、死ぬことのないようにしなければならない。わたしはそのように命じられたからである」。 

36 アロンとその子たちは主がモーセによってお命じになったことを、ことごとく行った。 

 当然、「アロンの子たち」の中には、長男ナダブと次男アビフも含まれていた。彼らが特別、民の他の者たちより霊的で善意を持っていたから祭司としての任職を受けたのではない。ただ神の憐みと忍耐によるものだった。しかし、その神の憐みと忍耐による任職は、神の前で大きな責任を伴っていたのである。そして、ナダブとアビフはその責任を軽く見、冒頭の聖句にあるように、神の裁きを受けてしまったのである。

 イエス・キリストによる神の恵みは、まさに無限であり、それはどれだけ強調しても足りないぐらい、素晴らしいものである。しかし、まさにその絶大さゆえに、神の恵みをないがしろにする者の上には、より重い刑罰が待っているのである。

へブル10:26-31

26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。 

27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。 

28 モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、 

29 神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。 

30 「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。 

31 生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。

へブル12:25-29

25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。 

26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。 

27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。 

28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。 

29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。