an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「穢れた場所」における真の礼拝

ヨハネ20:11-18

11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、 

12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。 

13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。 

14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。 

15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。 

16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 

17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。 

18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。 

 マグダラのマリヤに関して福音書の記録はそれほど詳しくはないが、御子イエスに「七つの悪霊を追い出してもらった」という記述から、苦悩に満ちた過去を持つ女性だったことは想像することができる。

ルカ8:2-3

2 また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、 

3 ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。 

 またガリラヤ湖西岸の小さな村マグダラの出身だと言われているが、当時、「塔」と言う意味の【migdal / magdal】という場所がいくつかあったことから、確かではない。

 後世の人々がこの女性に「携香女」「亜使徒」「聖女」という称号を与えたり、様々な伝説で色付けたとしても、聖書の記述から伝わってくるこの女性は、苦渋に満ちた過去から御子イエスによって解放され、喜びと感謝の思いを心に秘めた、繊細で素朴な女性にように思える。

 おそらく当時の社会においても最底辺層に属する女性だったのではないだろうか。同行していた御子イエスの母マリヤやヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、ラザロの姉妹であるマルタとマリヤと比べても、注目を浴びるような存在ではなかったかもしれない。

 いずれにせよ、そのマグダラのマリヤが、律法による当時の考え方によれば「最も穢れた場所」の一つである墓場で、復活した御子イエスと個人的に話している記述は、励ましに満ちたエピソードではないかと思う。

 そこは群衆が礼拝を捧げるために集まる神殿の中ではなかった。その神殿に仕えていた祭司たちから「神聖なる場所」と認められていた場所でもなかった。明け方の誰もいない「穢れた場所」であった。

 そして彼女が復活した御子を認めた時に口にした言葉は、たった一言だった。

マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。

 それは美しい旋律を伴う讃美歌でも、麗しい言葉によって飾られた祈りでもなかった。しかし、そのただ一言の「(私の)先生」という魂の叫びによって、マグダラのマリヤの心は主イエスと再び結び付けられたのである。

 御子イエスが地上宣教において、社会から疎外されて生きていた一人の女性に、「真の礼拝者たちが霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」と語った時、墓場で御子に出会うことになるマグダラのマリヤのことも含まれていたと考えると、たとえ私たちが今、望んでいない場所や状況に一人取り残されていたとしても、生ける主なる神との深い交わりの時をもつことが許されている、という感謝と喜びに満たされる。

ヨハネ4:21-24

21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 

22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。 

23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 

24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」 

 

「セム、ハム、ヤぺテ」についての考察

創世記の系図 : 村上 密 Blog

また、書いてある順が生まれた順とも限らない。アブラハムは前後の記述から三人の中では末の子である。また、ノアの家庭でもハムは末の子である。3人名前が書かれる時、それは重要順である。例えば、モーセとアロンとミリアム、ペテロとヨハネとヤコブのようにである。聖書を読むとき、自分の概念で読み込むと誤解が生じる場合がある。文脈を理解の手がかりとして読む習慣を身につければ、読むから理解に進める。

(一部引用終わり)

「ノアの家庭でもハムは末の子である。3人名前が書かれる時、それは重要順である。」

 創世記や歴代誌の記述では、常に「セム、ハム、ヤぺテ」の順番で記されている。

5:32

ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。 

6:9-10

9 ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 

10 ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。  

7:13

その同じ日に、ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった。 

9:18

箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。  

10:1;2;6;21-22

1 ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。 

 

2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラスであった。 

6 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。 

 

21 セムにも子が生れた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。

22 セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラムであった。 

歴上1:1-4

1 アダム、セツ、エノス、 

2 ケナン、マハラレル、ヤレド、 

3 エノク、メトセラ、ラメク、 

4 ノア、セム、ハム、ヤペテ。 

 「ハムが三人兄弟の末の子である」という説は、創世記9:24の記述による。

創世記9:18-27

18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。

19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。

20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 

21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

22 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 

23 セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。 

24 やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、 

25 彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。 

26 また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。 

27 神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。 

 聖書は「酔って天幕の中で裸になった父親を見、それを兄弟たちに告げた」ハムの行為によって、おそらく生まれたばかりかまだ子供であったはずの息子カナンがなぜ呪われなければいけなかったか、その理由を明らかにしていない。祖父ノアが泥酔して裸になったことやそれを見た父親ハムの行為の責任を、なぜ息子カナンが負わなければならなかったのだろうか。

 いずれにせよ、ノアは酔いから醒めた時、セムとヤペテのことを祝福し、ハムの子カナンのことを呪った。しかしもし本当に「セム、ハム、ヤペテ」の名前の序列が「重要順」であるならば、なぜ「セム、ヤペテ、ハム」とならなかったのだろうか。セムと一緒に称賛に値する行為をしたはずヤペテが、その息子が呪われるほどの行為をしたハムよりも「重要でない」と評価される基準とは一体何であろうか。

 ただ9:24の「末の子」と訳されている原語は、相対最上級の「最も小さい」とも、比較級として「より小さい」とも訳せる言葉であり、KJVなどは他の多くのバージョンが「youngest son」と訳しているのに対して「younger son」と訳している。文語訳は「若き子」としている。

 もう一つの説は「年少の息子」として解釈しているが、それを呪いの対象として言及されているカナンと考える見解もある。10:6にあるようにカナンが「末の子」として記録されているからである(ただ村上牧師の見解との一貫性を求めるなら、この場合も年齢順ではなく、「重要順」である可能性も否定できないはずである。)しかし原文ではノアを主語とした文節において「彼の小さい息子」としているので、ノアの息子ハムのことを指しているはずである。

 興味深い詳細がある。23節ではセムとヤペテが父親の天幕の中で共に行動しているのだが、「(着物を)取る」と「(肩に)かける」という二つの動詞が単数形であることである。

9:23

セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。 

 つまりセムが着物を取り、 自分の肩にかけ、ヤペテと共に後ろ向きに歩み寄って、一緒に父ノアの裸を覆い(複数形)、二人共父親の裸を見なかったことになる。要するにセムが率先して正しい行動を起こし、ヤペテがそれに従ったというイメージだろう。

 ノアが「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。」と祝福したのは、セムのイニシアチブに従ったその行動に見合ったものだと言える。

 霊的な適用するならば、これは父の栄光のために今も働いておられる長子なる御子イエスと、聖霊によってその導きに従う私たち信仰者との関係を示している。

マタイ11:29

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 

ヨハネ13:13-15

13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。 

14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。

15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。  

ヨハネ15:14-15

14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 

15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。 

へブル2:11-12

11 実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。 

12 すなわち、「わたしは、御名をわたしの兄弟たちに告げ知らせ、教会の中で、あなたをほめ歌おう」と言い、 

Ⅰペテロ2:21

あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。  

 

「アブラハム末の子説」の検証

創世記の系図


創世記5章11章には系図が出てくる。アダム家庭にはカイン、アベル、セツ、ノア家庭にはセム、ハム、ヤぺテ、テラ家庭にはアブラハム、ナホル、ハランの息子たちが出てくる。家庭が書かれてあるところでは息子たちが書かれ、そうではない場合は、息子、娘たちを生んだと書いてある。当然、アダム、ノア、テラに娘たちがいると思われる。証明できるのは、アブラムの妻はサライで腹違いの妹である。それから、カインがエデンから追放されたとき、ノデの地に住み、妻との間にエノクを産んだ。この妻は妹と思われる。3家庭に息子たちが書かれているが、必ずしも息子たちだけではないことを知っておく必要がある。なぜなら、多産に時代にそれも息子だけ産むとは限らないからである。また、書いてある順が生まれた順とも限らない。アブラハムは前後の記述から三人の中では末の子である。また、ノアの家庭でもハムは末の子である。3人名前が書かれる時、それは重要順である。例えば、モーセとアロンとミリアム、ペテロとヨハネとヤコブのようにである。聖書を読むとき、自分の概念で読み込むと誤解が生じる場合がある。文脈を理解の手がかりとして読む習慣を身につければ、読むから理解に進める。  

(引用終わり)

 

 「また、書いてある順が生まれた順とも限らない。アブラハムは前後の記述から三人の中では末の子である。」

 つまり、この主張によれば、テラは七十歳になって「ハラン、ナホル、アブラハム」の順番で子を生んだが、聖霊はその子らの「重要性」に従って順番を逆にしたことになる。

 この主張の聖書の根拠を検証してみた。

創世記11:26-32

26 テラは七十歳になってアブラム、ナホルおよびハランを生んだ。 

27 テラの系図は次のとおりである。テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ。 

28 ハランは父テラにさきだって、その生れた地、カルデヤのウルで死んだ。 

29 アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライといい、ナホルの妻の名はミルカといってハランの娘である。ハランはミルカの父、またイスカの父である。 

30 サライはうまずめで、子がなかった。 

31 テラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、子アブラムの妻である嫁サライとを連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住んだ。 

32 テラの年は二百五歳であった。テラはハランで死んだ。 

  確かにハランは、アブラハムがカナンの地に向かって旅立つ前、カルデヤのウルで死んだが、その時点で息子ロトや娘ミルカとイスカがいたわけだから、アブラハムよりも早く結婚していたと推測することもできる。

 また次男(?)のナホルが、ハランの娘ミルカを妻として迎えていることからも、同じ推測できる。

創世記11:29

アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライといい、ナホルの妻の名はミルカといってハランの娘である。ハランはミルカの父、またイスカの父である。 

 さらにアブラハムの妻サラが10歳下の異母妹だったことと合わせて考えると、サラの母親は、ハランの母親でもあり、そして何かの理由で先に亡くなり、テラは二番目の妻を迎えた、という可能性もある。

創世記20:12

また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。 

 ヨシュアがテラのことを「アブラハムの父、ナホルの父」と呼び、ハランの名を挙げていないのは、異なる母親によるものなのだろうか。

ヨシュア24:2

そしてヨシュアはすべての民に言った、「イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、 

 いずれにせよ、上述だけの根拠では、「アブラハムが末の子である」と断言するのは困難ではないかと思う。

 ちなみに口語訳は、ロトの事を「(アブラハムの)弟の子」として解釈して翻訳している。

創世記12:5

アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。 

 「アブラハム末の子説」は、おそらく使徒7:4のステパノの言及と創世記の言及との調和を求める過程で生まれたのではないかと思える。確かにアブラハムが末の子であったなら、テラが205歳で死んだ後にカナンの地に向かって旅立ったとしても、矛盾が生れない範囲だからである。

使徒7:4

そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、

 ステパノの説教に関する考察はこちら。

 アブラハムの故郷に関して、興味深い検証記事があったので、参考までに。

 

 「文脈を理解の手がかりとして読む習慣を身につけ」ても、時には明確なかたちで「読むから理解に」進み得ないこともある。明らかに啓示されている中心的なテーマには確信をもち、難解で副次的なテーマには寛容な心をもつ。それぐらいのスタンスで聖書と向き合うことが大切なのではないだろうかと思う。自戒を込めて。

南部バプテスト連盟におけるフリーメイソンの関与

watch.pairsite.com

 米国プロテスタント系キリスト教の最大教派で、米国内の信徒数は約1,600万人もいる南部バプテスト連盟(SBC Southern Baptist Convention)とフリーメイソンとの関係について言及している。

 この記事では、以下のような驚くべきデータが提示されている。

For example, a 1991 survey by the Southern Baptist Convention Sunday School Board found that 14% of SBC pastors and 18% of SBC deacon board chairs are Masons. It is also estimated that SBC members comprise 37% of total U.S. lodge membership. (A 2000 updated SBC report found that over 1,000 SBC pastors are Masons.)"

 

たとえば、1991年の南部バプテスト連盟日曜学校会議の調査によると、南部パブテスト連盟の牧師の14%と執事理事会の18%がフリーメイソンである。SBC会員はアメリカのロッジ全会員数の37%が含まれている。(2000年に更新されたSBCの報告書は、1000人以上のSBCの牧師がフリーメイソンである。)

 また1991年の段階で、約110万人のSBCの会員がフリーメイソンにも属していると主張している。

 同記事の中に添付されている、SBCのホーム・ミッションボードによる1993年の報告書「A report on Freemasonry」

https://www.namb.net/Resources/A_Report_on_Freemasonry.pdfは、SBCの教義がフリーメイソンの教えと両立しない点に関して主張している反面、フリーメイソンに属する選択が「個人の良心の問題である」と結論づけている。

"In light of the fact that many tenets and teachings of Freemasonry are not compatible with Christianity and Southern Baptist doctrine, while others are compatible with Christianity and Southern Baptist doctrine, we therefore recommend that consistent with our denomination's deep convictions regarding the priesthood of the believer and the autonomy of the local church, membership in a Masonic Order be a matter of personal conscience. Therefore, we exhort Southern Baptists to prayerfully and carefully evaluate Freemasonry in the light of the Lordship of Christ, the teachings of the Scripture, and the findings of this report, as led by the Holy Spirit of God."

(赤字強調は引用者による)

 

 また同じSBCに関する以下の記事と合わせて考えるのは、興味深いことである。

www.christiantoday.co.jp

2012年には、同連盟の5万1000の教会のうち約20%を白人ではない人種の人が占めるようになった。しかし、複数の人種が共に集う教会は1%未満だ。

 一方で聖書の啓示を信じる自分たちの教義と両立しない教えを信奉する牧師や会員を許容する反面、同じ教義を共有する会員同士が「人種の違い」という理由で共生に困難を感じている。

 これは決して南部バプテスト連盟内部だけの問題ではないと思う。メインラインに属していようがいまいが、同様の自己矛盾は、規模や性質の違いこそあれ、どこの教派・教団・教会・個人の中に存在するものではないだろうか。信条と実践との間の乖離や妥協は、人間が造る境界線など全く無視し、染みのようにそこにある。

 

eastwindow18.hatenadiary.com

「エジプトの川」はナイル川?

 添付した記事の中で、主なる神がアブラハムに約束した「約束の地」の境界線の「エジプトの川」が、ナイル川ではなくエル=アリーシュであることを書いた。

 しかしウィキペディアの説明では、それがナイル川のことであると主張され、様々な論拠が書かれている。以下はネット上で見つけた、「ナイル川説」による境界線を示す図である。

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 ただ非常に単純に考えて、もし主なる神がアブラハムにナイル川の東側のシナイ半島さえも与えると約束していたならば、モーセによってエジプトから導き出された民は、シナイ半島をパロの追跡から逃げていた段階で、すでに「約束の地」に入っていたことになってしまう。

 そのような想定は、パロに次ぐエジプトの権力者として、父ヤコブや兄弟たちにゴシェンの地を与えたヨセフが、死ぬ前に伝えた遺言(ナイル川の東側に行けばよかっただけのことになる!)や、12人の偵察のエピソードだけでなく、モーセ五書全体を実にナンセンスなものにしてしまう。

創世記50:24-25

24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」 

25 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」と言った。 

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葦の海に通じる荒野の道

出エジプト13:17-20(新共同訳)

17 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。

18 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。

19 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。

20 一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。

21 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。

22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

 この箇所において新共同訳は、主なる神がイスラエルの民をエジプトから導き出した時のルートに関して、「葦の海に通じる荒野の道」と訳出している。新改訳や口語訳は「葦の海に沿う荒野の道」「紅海に沿う荒野の道」と訳出し、シナイ山への道程の異なる解釈の影響が見受けられる。

 英語訳においては、以下のバージョンなどがその方向性を明確に訳出している。

(New International Version)
So God led the people around by the desert road toward the Red Sea. The Israelites went up out of Egypt ready for battle.

 

(International Standard Version)
So God led the people the roundabout way of the desert toward the Reed Sea. The Israelis went up from the land of Egypt in military formation.

  最近の記事において何度か、聖書が現代のアカバ湾のことを「葦の海」と呼んでいること(民数記21:4やⅠ列王9:26を参照)を示したが、その前提に基づくならば、「葦の海に通じる荒野の道」は下図の赤線で示されている「王の道」であると思われる。(ちなみに青い線は、新共同訳の表現を使うなら「ペリシテ街道」、つまり「海の道 Via Maris」である。)

 「海沿いの道」ではなく「荒野の道」と表現していることも意味深い。

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 この「王の道」は、エジプトとメソポタミアやアラビアを結ぶ重要な交易路を構成しており、紀元前20世紀頃にはすでに利用されていた。エジプトのファラオ(パロ)からミデアンの地に逃亡したモーセも、最短距離でミデアンへ行けるこの道を選んだのでないかと推測できる。

 またホレブ山で主なる神から召命を受けた後、妻子を連れてエジプトに戻る時も、この道を通って行ったのではないだろうか。

出エジプト4:19-20

19 主はミデヤンでモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」 

20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。 

 しかしこの場合、その後にモーセが兄アロンと神の山で出会うエピソードの解釈がわかりづらい。

出エジプト4:27-28

27 それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。 

28 モーセは自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。 

 エジプトに戻る旅の途中で神の山を通ったということは、モーセがミデアンの地の東の地域に住んでいたからかも知れない。(しかしエジプトで奴隷だったはずのアロンは、一体どこから来たのだろうか。)

出エジプト3:1

モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。 

 

 この「葦の海に通じる荒野の道」で興味深い要素は、エタムという名の途上の宿営地である。

一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。

 そして主なる神は、このエタムの先で、突然イスラエルの民に進路変更するように命令した。

民数記33:5-8

5 こうしてイスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに宿営し、 

6 スコテを出立して荒野の端にあるエタムに宿営し、 

7  エタムを出立してバアル・ゼポンの前にあるピハヒロテに引き返してミグドルの前に宿営し、 

8 ピハヒロテを出立して、海のなかをとおって荒野に入り、エタムの荒野を三日路ほど行って、メラに宿営し、 

 エタムは聖書における原語では【אֵתָם 'êthâm ay-thawm'】であるが、以下の現代の地図上で【Ath Thamad】と書いてある地点ではないかと言われている。

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 同じ地図のヘブライ語版。

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 以下、民数記33章の記述を基に、イスラエルの民の道程と宿営地、そして時期について表にしたものを添付する。

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 ラムセスを出発してから、葦の海を横断し、シナイ山の麓の平野まで約1か月半かかったことがわかる。

出エジプト16:1

ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。 

出エジプト19:1

エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野にはいった。 

 また「宿営」とは、天幕を張って停留したことを意味し、民数記33:8から考えると、必ずしも毎晩休んだ場所で天幕を張っていたのではなく、三日路程歩き、大群衆が天幕を張ることができる空間で宿営していたと推測できる。

ピ・ハヒロテから旅立って海の真中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。 

 また少なくともエジプト軍の追跡を恐れていた時、つまり葦の海までは、民は「昼も夜も」歩いて先を急いでいたことがわかる。

出エジプト13:21

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。 

 

 こうして読んでみると、主なる神はペリシテ街道という近道があったにもかかわらず、より困難な「葦の海に通じる荒野の道」をイスラエルの民に通らせ、さらにその道から離れて、まるで「荒野に閉じ込められたような出口のない道」を南下させ、「海のなかをとおって」、つまり「道なき道」を通るように導いたのであった。

 当時のイスラエルの民は、エジプトで奴隷として生れ、自由に行きたいところに行ける身分ではなかった。おそらく自分たちがどこへ向かっているか理解している人は、ミデアンの地で羊飼いとして40年間過ごしたモーセぐらいだったのではないだろうか。

 全く初めて通る荒野の道。どこまで続いているかわからない狭い渓谷の道。荒野の夜の闇に包まれた道。民が不安になるのも理解できることである。

 しかしそのような道を進むように導かれた主なる神が、その民と共におられたことは、人生において同じような「道」を歩む私たちにとって、大きな慰めである。

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた

Ⅰコリント10:1-4

1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。 

2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、 

3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、 

4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。 

Ⅰコリント10:13

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 

「帰ってはならない道」「覚えていなければならない道」

 イスラエルの民のエジプト脱出のルートやシナイ山(ホレブ山)の位置に関して調べてみると、意外にも多くの説があり、また互いに相反する情報が混在していて、詳細を知ろうとする思いを非常に困惑させる。問題の一つは、聖書に記録されている地名の多くに関して、現在の地理的位置がわからないことである。このテーマに関する「良心的な」ルートマップなどは、地名の後に「?」を付けているが、単なる推測が定説のように扱われている場合さえもある。

 以下の添付図は、推定しうる軌跡として表示されているが、いくつかの地名には「?」が付けられている。

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 またごく小さな場所の地名に限らず、ある程度の広さをもった地方についても、その領域について様々な説があり、さらに時代によってその領域も異なる可能性もあるので、実に難しい問題である。

 例えば、聖書には明確にホレブ山(シナイ山)がミデアンの地にあり、モーセは40年間その地で遊牧民として生活し、そして神の声を聞いたことが記述されている。

出エジプト2:15-16

15 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。 

16 さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとしたが、 

出エジプト3:1;12

1 モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 

12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」 

出エジプト4:19

主はミデヤンでモーセに言われた、「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」。 

 しかし上図のように、アカバ湾東岸の一帯を「ミデアン」と考える説が多い中、その領域をアカバ湾西岸、つまりいわゆるシナイ半島の領域まで拡張する説も存在する。

 さらにそのアカバ湾に関しても、聖書はその場所を「葦の海」と特定しているのに対して、多くの通説では現在のスエズ湾まで拡張して考えている。

Ⅰ列王9:26

また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。

民数記21:4

彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、

  また先日の記事で取り上げたカデシ・バルネアに関しても、Ain el-Qudeirat (もしくはEin Qudeirat)であると、主なる神がアブラハムに対して約束し、それをモーセ自身が書き記した、約束の地の南端よりも内側に位置してしまい、聖書の記述と矛盾が生じてしまう。

申命記9:23

また主はカデシ・バルネアから、あなたがたをつかわそうとされた時、『上って行って、わたしが与える地を占領せよ』と言われた。ところが、あなたがたはあなたがたの神、主の命令にそむき、彼を信ぜず、また彼の声に聞き従わなかった。 

 つまりイスラエルの民はすでに約束の地の境界線を越えて中に入り込んでいたことになってしまうのである!

 それゆえ、ヨルダン渓谷の東側にあるペトラがカデシ・バルネアではないか、という説もある。

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 このように、シナイ山やミデアン、葦の海、カデシ・バルネアといった聖書的に重要な場所でさえも、その位置や領域に様々な見解があるのは悩ましいと同時に、興味深いことでもある。

 というのは、モーセを通して細かくそのルートを記録させた主なる神は、時の流れがそのしるしを曖昧にすることを許したからである。主が望んだなら、そのイスラエルの民の通過点に、ローマ時代のマイルストーンのようなものを残すように命令することもできただろう。

 しかしそれを命じなかったのは、イスラエルの民を奴隷状態から解放し、約束の地に導き入れると決め、それを実現した主なる神には、一旦約束の地に入ったイスラエルの民にとってその道は「帰ってはならない道」「見てはならない道」であり、ホレブ山があったミデアンの地も「異邦人の地」であったからではないだろうか。

申命記17:16

王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。  

  そしてそれらの道程がモーセによって詳細に書き記された目的は、その各場所自体を特定するためではなく、霊的な目的を持っていたことが、以下の聖句で理解することができる。

申命記8:1-3

1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。 

2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。 

3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。  

  それは、それぞれ不確かで矛盾にさえ思える諸説によって混乱しがちな現代の私たちの考えを、神の思いに沿ったものに修正する啓示ではないだろうか。

Ⅰコリント10:1-14

1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、 

2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。 

3 また、みな同じ霊の食物を食べ、 

4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。 

5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。 

6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。 

7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。 

8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。 

9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。 

11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。 

12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 

13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 

14 それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。