マタイ18:1-6
1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
6 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」
弟子たちは完全に間違った前提のもとに、御子イエスに対してこの質問をした。彼らは喜び讃えながら「主よ、あなたが天国で一番偉い方です!」と言うべきだった。ほんの部分的にせよ、弟子たちは御子のアイデンティティーとその栄光の姿を見てからそれほど時間が経っていないかったのだから、なおさらである。
マタイ16:13-19
13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
マタイ17:1-8
1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
少なくともこの二つのエピソードに共通しているペテロは、他の弟子たちがお互いに比較し合っていたとしても、率先して「主よ、あなたが天国で一番偉い方です!あなたこそ生ける神の子、主の主、王の王です!」と言えるだけの体験はしていたはずであった。
しかしそのような弟子たちに対して、御子イエスは呆れて「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。」(マタイ17:17)と再び言うこともできた。また弟子たちの質問に対して「私こそ、天国で一番偉い者である」と宣言したとしても、それは真理以外のなにものでもなかった。
だが御子イエスの言動は、誰も想像していなかったものであった。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
おそらく周りに大勢いた子供たちの中から、一人の幼な子を呼び寄せ(手招きしている御子イエスと、その招きに目を丸くして驚いている子供の顔が想像できないだろうか)、弟子たちの真ん中に立たせたのである。聖書はその子の名も、誰の子であるかも記録していない。ただ御子によって、「天の国を代表するもの」として弟子たちに示すために選ばれたのである。
3 よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
興味深いのは、この3節の「幼な子」が複数形であることだ。つまり御子はこの幼な子が何か特別な才能や徳をもっていたから選んだのではなく、シンプルな信頼をもつ存在を代表する一人として、弟子たちの間に立たせたのだ。
しかし4節では、「この幼な子」と単数形で、まさしく選ばれた子を実例として示している。
4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
この子がどのくらいの年齢だったか明らかではないが、ある程度の年齢の子供だったら、この御子の言葉に大いに励まされ、自ら御子に従いたいという思いに駆られたのではないだろうか。「イエス様は、ボクのことを天国で一番偉い人みたいに言ってくれた!」と。
このエピソードは見事に「恵みの福音の本質」をあらわしている。神の一方的な愛をシンプルな心で信頼するならば、その救いの素晴らしさを実際に経験することができる。そしてその恵みを私達が受けることができるために、如何に御子イエスが遜ってくださったか、そのことを知り、彼だけに従い、彼だけを誇る心が与えられる。
マタイ11:25-30
25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
26 父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
Ⅰコリント1:26-31
26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。