御子は、見えない神のかたちである(2)
創世記1:26-27
26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
御子は、見えない神のかたちである(1)において記したとおり、御子は万物創造以前から「見えない神のかたち」として存在していた。これはつまり、創世記が人間の創造に関して「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された」という啓示するとき、永遠の御子のかたちに創造したことを意味する。そしてその「かたち」は、見えない・見ることができない神のかたちであり、御子自身のかたちである。だから26節では「われわれ」と一人称複数で表現されており、「かたち」には複数形ではなく単数形が使われているのである。
そして27節では「神」が複数形であるにも関わらず、三回使われている動詞「בָּרָא bârâ' / 創造する」は単数形であることから、三位一体の神の創造における完全な一致や調和を暗示していると解釈することができる。
ここには、人間の本来の「かたち」(アイデンティティーとも言える)が示されている。人間はそもそも「見えない神のかたち」である御子によって、御子に似せて、御子の為に創られた存在なのである。しかし人間は罪を犯したがゆえ、その御子のかたちの栄光を失ってしまい、存在の目的も失い、「神の栄光を失った罪びとのかたち」を継承することになる。
ローマ3:23(前田訳)
すべての人は罪を犯したため、神の栄光を欠いています。
創世記5:3
アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。
そしてイエス・キリストの救いの福音の本質は、信じる者の心に失われていた神のかたちの栄光の希望を与えることであり、「見えない神のかたち」である御子自身が聖霊を通して成し遂げる聖別のわざである。
ローマ8:29
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。
Ⅱコリント3:18
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
ピリピ3:21
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。
Ⅰヨハネ3:2
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。