3.安息日の戒めの対象としるし
出エジプト20:2;8-11
2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
出エジプト31:12ー17
12 主はまたモーセに言われた、
13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。
15 六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。
16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。
17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。
レビ記19:1-3
1 主はモーセに言われた、
2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。
3 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
上に引用した聖句を読むと、当然、安息日の戒めが「エジプトの奴隷の家から導き出された」「イスラエルの人々の全会衆」を対象にしており、また安息日を守ることが、「主なる神とイスラエルの民との間のしるし」であったことがわかる。
この「主なる神とイスラエルの民との間のしるし」という概念は、以下の聖句にも書き記されている。
エゼキエル20:12;19-20
12 わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。
19 主なるわたしはあなたがたの神である。わが定めに歩み、わがおきてを守ってこれを行い、
20 わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。
もし私たち異邦人(イスラエル人以外の人間)が、御子イエスの贖罪のわざを根拠に、「エジプトの奴隷の家から導き出された」を「罪の奴隷状態から解放された」と霊的に適用し、「イスラエルの人々の全会衆」を「恵みによって救われた神の民、教会」と解釈するならば、「主なる神と教会との間のしるし」とは何であろうか。他の要素に関しては恵みを根拠に、霊的解釈を適用するのに、安息日を守ることに関しては同じ基準を用いず、そのまま字義的な適用すべきなのだろうか。
またイエス・キリストの恵みの下にあって、「主なる神が自分を聖別したことを知らせるため」、また「主なる神が自分の神であることを知らせるため」に信仰者に与えられている「しるし」とは何だろうか。
それは信仰者のうちに与えられた聖霊ではないだろうか。
エペソ1:13-14
13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
安息日以外にもう一つのイスラエルの民に与えられていた「しるし」は割礼であり、その割礼を受けていなかったものは過ぎ越しの祭の食事をすることもできなかった。
創世記17:9-14
9 神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち
10 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。
11 あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。
12 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。
13 あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。
14 割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。
出エジプト12:48
寄留の外国人があなたのもとにとどまっていて、主に過越の祭を守ろうとするときは、その男子はみな割礼を受けてのち、近づいてこれを守ることができる。そうすれば彼は国に生れた者のようになるであろう。しかし、無割礼の者はだれもこれを食べてはならない。
しかしその肉体の割礼も、御子イエスの贖いのわざによって、「御子の十字架の死による自我の死」という霊的な要素へと昇華されたのに、安息日に関しては未だに地上の時間的制限に限定された規定に基づいていなければいけないのだろうか。
それとも、安息日を尊守することで約束されていた「休息」や「生ける神との交わり」「祝福」は、十字架の上で贖いのわざを完成し、死から復活して、時間にも空間にも制限されない永遠の御座につかれた御子によって、信じる者全ての与えられたのではないだろうか。
エペソ1:3-5
3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
エペソ2:4-6
4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
コロサイ2:8-12
8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
10 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。彼はすべての支配と権威とのかしらであり、
11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
(4)へ続く