聖書と人の関係
Ⅱテモテ3:13-17
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
高等教育を受け、人生経験を積み、「整えられた者」「知識と素養と適性を身につけている」と自負している人が、聖書の内容をあれこれと議論し、良否を決め、何が現代の文脈において妥当であるかを判断するのではない。生ける神が聖書の言葉を通して、すべての人を「教え、戒め、正しくし、義に導く」のである。
罪人であった私たちは、聖書と通して救いに至る知恵を与えられ、聖書を通して様々な面で「整えられた者」に造りかえられているのに、いつの間にか、立場が逆転したように振る舞ってしまう。まるで僕(しもべ)が主人に命令するかのように。
これは全ての信仰者が陥りやすい罠である。
詩篇119篇全体において表現されている「御言葉に関する祈りの心」は、私たちをその危険な罠から守ってくれるだろう。
詩篇119:65-72 テス
65 主よ、あなたはみ言葉にしたがってしもべをよくあしらわれました。
66 わたしに良い判断と知識とを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じるからです。
67 わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。
68 あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。
69 高ぶる者は偽りをもってわたしをことごとくおおいます。しかしわたしは心をつくしてあなたのさとしを守ります。
70 彼らの心は肥え太って脂肪のようです。しかしわたしはあなたのおきてを喜びます。
71 苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。
72 あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀貨幣にもまさるのです。