an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

殉教を覚悟していた使徒パウロの聖書観

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Ⅱテモテ3:14-17

14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 殉教の時が間近に迫ってきていることを肌で感じていた使徒パウロが、小アジア(現在のトルコ西部)のエペソで伝道活動していたテモテにこの手紙を書いたのは、西暦60年代半ば頃だと言われている。

 この時期にはまだ旧約聖書の正典化はまだ行われておらず、使徒パウロが呼ぶところの「聖書」、また小アジアのリストラ出身でギリシャ人の父とユダヤ人の母ユニケの間に生まれ、信仰者であった母と祖母ロイスによって信仰的に育ったテモテ(Ⅱテモテ1:5)が「幼いころから親しんでいた聖書」が、具体的にどのくらいの範囲をもつのか、その境界線をきっちりと引くことは難しい。当然、一世紀末のヘブライ語聖書正典化、そしてより複雑なプロセスを経た新約聖書の正典化から、長い歳月が経った時代の視点から聖書を読み込んでいる私たちは、「聖書」の定義により太い輪郭線を引いているわけである。

 しかし少なくとも使徒パウロの頭の中には、彼自身が書簡の中で引用しているヘブライ語聖書やギリシャ語の七十人訳が含まれていたはずである(勿論、正典化によって絞られた三十九巻であったかもしれないし、それ以上またそれ以下だったかもしれない。確実な言えることは、使徒パウロに霊感を与え、書簡を書かせた聖霊はそれを完全に知っておられたことである)。

 いずれにせよ、今回私の注意を引いた点は、エルサレムでラビとしてヘブライ語による正式な神学教育を受けて育ったパウロが、ヘレニスト・ユダヤ人として育ったテモテに対して書いている、聖書の機能と目的である。

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 使徒パウロは、もし望むなら現代の聖書学者や教師が行うように、ヘブライ語聖書とギリシャ語訳聖書の微妙なニュアンスの違いを指摘して、書簡の中で蘊蓄を傾けることもできたはずである。何しろ、ローマの極悪の環境の牢獄に中にいて、殉教を意識していたにもかかわらず、聖書の巻物を持ってくるように依頼するほど、御言葉を愛し、「研究熱心」であったのである。

4:6 

わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。

4:13

あなたが来るときに、トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。 

 通常、死の時を自覚している人間は、自分自身や周りの全ての事について、また残された時間に関して、より本質的なことを選択し、副次的なことは切り捨てる傾向がある。聖霊がこのような極限の状況において使徒パウロに手紙を書かせ、厳しい迫害の故に意気消沈していた福音伝道者テモテを、「聖書が何であり、何を目的とし、どのように働きかけるか」を明確にし、方向付けることによって励まそうとしているのは、内外の様々な混乱の中で信仰者として自分が為すべくことを見失いがちな現代の私たちにとって、非常に重要な指針であると思う。

4:1-5

1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。 

2  御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。

3  人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、

4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。 

 殉教を覚悟していた使徒パウロの「聖書観」は、何よりも「生きている者と死んだ者とを裁くべき方」を意識したものであったことが、ここに啓示されている。