コロサイ4:10-14
10 わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている。このマルコについては、もし彼があなたがたのもとに行くなら、迎えてやるようにとのさしずを、あなたがたはすでに受けているはずである。
11 また、ユストと呼ばれているイエスからもよろしく。割礼の者の中で、この三人だけが神の国のために働く同労者であって、わたしの慰めとなった者である。
12 あなたがたのうちのひとり、キリスト・イエスの僕エパフラスから、よろしく。彼はいつも、祈のうちであなたがたを覚え、あなたがたが全き人となり、神の御旨をことごとく確信して立つようにと、熱心に祈っている。
13 わたしは、彼があなたがたのため、またラオデキヤとヒエラポリスの人々のために、ひじょうに心労していることを、証言する。
14 愛する医者ルカとデマスとが、あなたがたによろしく。
使徒パウロの福音宣教における同労者として新約聖書に記録され、『ルカによる福音書』と『使徒行伝』の筆記者と言われているルカが、ギリシャ人ではなく、ヘレニスト・ユダヤ人、つまりパレスチナ地方以外で育ち、ギリシャ語を話すユダヤ人ではなかったか、と主張する説がある。
一説によると二世紀末に書かれたと言われている『ルカによる福音書への反マルキオン的序文』には、「ルカはシリアのアンティオキアの出身で、シリア人、職業は医者」とする記述があるが、冒頭に引用した聖書自身の啓示が、ルカが「割礼の者」つまりユダヤ人でなかったことを示している。
使徒パウロがローマで捕らわれの身であったとき、彼と共に捕らわれていたアリスタルコと、バルナバのいとこマルコ、そしてユストと呼ばれるイエスの三人について、使徒パウロは「割礼の者の中で、この三人だけが神の国にために働く同労者」と記述している。「だけ μόνος monos」という表現に注目してほしい。
そしてその直後、自分と共にローマにいる小アジアのコロサイ出身のエパフラスと、「愛する医者ルカ」とデマスから、挨拶を伝言しているのである。つまり、医者ルカが「割礼の者の中でパウロと働く同労者」の中には入っておらず、コロサイ出身のギリシャ人エパフラスと、(おそらくテサロニケ出身の)デマスと共に名を挙げられている。コロサイ教会の信徒ピレモンへ宛てて書かれた『ピレモンへの手紙』の中では、ルカもマルコとアリスタルコと共に「同労者」と呼ばれているにも関わらず、である。
ピレモン24
わたしの同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく。
また『使徒行伝』の中では、アリスタルコが「テサロニケ出身のマケドニア人」(使徒19:29;20:4;27:2)と呼ばれながらも、実際は「割礼の者」、つまりヘレニスト・ユダヤ人であったことを考えると、もしルカがヘレニスト・ユダヤ人だったとしたら、たとえシリアのアンテオケ出身、もしくは他のどこかの町の出身だったとしても、使徒パウロに「割礼の者」と見なされていたはずである。
テモテが父親にギリシャ人、母親がユダヤ人であるヘレニスト・ユダヤ人(使徒16:1-3)であったにも関わらず、「割礼の者の中でパウロと働く同労者」の中には含まれていないのは、テモテが使徒パウロと共に『コロサイびとへの手紙』の共筆者だったことから(コロサイ1:1)、テモテが自分の名前を省略したと考えるのが妥当であろう。
またルカの旧約聖書に対する高い知識を根拠に、ルカがユダヤ人であったと主張する人もいるが、ルカが聖書に精通していた使徒パウロの同労者として長い時間共にいたことや、ルカを聖別し『ルカによる福音書』と『使徒行伝』を書き残させるために霊的知恵を与えた聖霊の働きを考慮すれば、ギリシャ人ルカがヘレニスト・ユダヤ人並みに旧約聖書に精通していたとしても、別に何の不思議なことでもないだろう。
以上の根拠により、私は通説通り、ルカがギリシャ人であったと考える。
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