an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「忘れられた女」ケトラ(3)

創世記25:1-6

1 アブラハムは再び妻をめとった。名をケトラという。

2 彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバクおよびシュワを産んだ。

3 ヨクシャンの子はシバとデダン。デダンの子孫はアシュリびと、レトシびと、レウミびとである。

4 ミデアンの子孫はエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダアであって、これらは皆ケトラの子孫であった。

5 アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えた。

6 またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、東の方、東の国に移らせた。 

 ケトラの6人の子孫の内、次男ヨクシャンと四男ミデアンだけアブラハムの孫の世代まで名前が記され、次男ヨクシャンの子デダンに至っては、そのデダンから生まれた3つ部族の名前が記されている。これは、創世記を書いた預言者モーセの時代にも残り、知られていた部族の名前だったと思われる。

 これらの詳細は一見、無意味な名前の羅列に思えるが、実はその後のイスラエルの歴史を知るうえで霊的にも非常に意味深いものである。

 今回、特に注目したいのはケトラの四男ミデアンの子孫に関してである。ミデアンはその他のケトラの子らと共に、アブラハムの意向によって唯一の跡取りイサクから離され、カナンの地から東の国に移住した。

 「そばめたち」と複数形なので、このイサクとの分離の記述には、ハガルとその子イシマエルが追放され、パランの荒野に移住したエピソード(創世記21:1-21)も含まれていることを示している。

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(「Midian」で画像検索すると、なぜかオカルト・ホラーまがいの画像が大量に出てくるので注意。)

 「東の国」とは、主にアラビア半島を示していると思われるが、ミデアンの子孫は特に、アカバ湾の東岸の領域に移住した。

 創世記には、ちょうどアブラハムのひ孫の世代(ケトラの子孫ではアブラハムの孫の世代)に起きた、一つの重要なエピソードが記述されている。アブラハムの孫ヤコブの最愛の妻から生まれたヨセフが、自分のことを激しく嫉んでいた兄弟たちの策略によって、イシマエルびとの隊商の共にエジプトへ向かっていたミデアンびとを通して売られ、エジプトへ奴隷として連れて行かれたエピソードである。

創世記37:12-28

12 さて兄弟たちがシケムに行って、父の羊の群れを飼っていたとき、

13 イスラエルはヨセフに言った、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」。ヨセフは父に言った、「はい、行きます」。

14 父は彼に言った、「どうか、行って、あなたの兄弟たちは無事であるか、また群れは無事であるか見てきて、わたしに知らせてください」。父が彼をヘブロンの谷からつかわしたので、彼はシケムに行った。

15 ひとりの人が彼に会い、彼が野をさまよっていたので、その人は彼に尋ねて言った、「あなたは何を捜しているのですか」。

16 彼は言った、「兄弟たちを捜しているのです。彼らが、どこで羊を飼っているのか、どうぞわたしに知らせてください」。

17 その人は言った、「彼らはここを去りました。彼らが『ドタンへ行こう』と言うのをわたしは聞きました」。そこでヨセフは兄弟たちのあとを追って行って、ドタンで彼らに会った。

18 ヨセフが彼らに近づかないうちに、彼らははるかにヨセフを見て、これを殺そうと計り、

19 互に言った、「あの夢見る者がやって来る。

20 さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう」。

21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。

22 ルベンはまた彼らに言った、「血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない」。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。

23 さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、

24 彼を捕えて穴に投げ入れた。その穴はからで、その中に水はなかった。

25 こうして彼らはすわってパンを食べた。時に彼らが目をあげて見ると、イシマエルびとの隊商が、らくだに香料と、乳香と、もつやくとを負わせてエジプトへ下り行こうとギレアデからやってきた。

26 そこでユダは兄弟たちに言った、「われわれが弟を殺し、その血を隠して何の益があろう。

27 さあ、われわれは彼をイシマエルびとに売ろう。彼はわれわれの兄弟、われわれの肉身だから、彼に手を下してはならない」。兄弟たちはこれを聞き入れた。

28 時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。

 神の計画において、偶然というものは存在しない。すべてが必然だとわかっていても、やはりその細部に至るまでの組み合わせに驚くのである。アブラハムは175歳でこの世を去る前に、唯一の跡取りイサクを守るため、父親として心を痛めながらも、そばめの子全員をイサクから引き離し、約束の地から離れた場所に移住させた。しかし、アブラハムの孫ヤコブは、彼の子供たちの策略により、最愛の子ヨセフが「アブラハムのはしためたちの子孫」であるミデアンびととイシマエルびとに売られ、彼らの手によって、約束の地から遠く離れたエジプトに「奴隷」として連れていかれ、20年近く最愛の子を失った失意の中に生きることになったのである。

 勿論、イシマエルびとの隊商とミデアンびとの商人が、意図的に計画した「復讐」ではないことは確かである。だから意図的にヨセフを売り飛ばした兄弟たちの罪は非常に重く、彼らはその後、ヨセフとの和解のプロセスにおいて大いに苦しむことになる。

 このエピソードは、私たちが信じる善悪が、神の約束に反してまるで逆転しているかのような恐ろしい事態の中にも、神の良き計画が確実に進行していることを啓示しているのだろうか。

 そして何よりもアブラハムの約束の子と、ケトラの子との関係は、神の独り子として罪びととは区別されていた御子イエスが、神の贖いの計画を行うために天上の祝福を離れ、一人の人となり、その民から捨てられ十字架の死の道を進んだことの予型だと言えるだろう。

へブル7:26-27

26 このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。

27 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。 

ヨハネ1:9-13

9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 

 しかし、アブラハムの約束の子孫イスラエルと、はしためケトラの子孫との関わりはこのエピソードだけではないのである。

 

(4)へ続く