世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1) - an east window
世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(2) - an east window
世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(3) - an east window
新約聖書が啓示している信仰義認の教えを理解し、実体験するのに神学校へ通う必要は全くない。生ける神自身が聖霊を通して語り、働きかけてくださるからだ。
同様に、歴史上に存在し、今現在もある様々な運動や教派、教団、教会の分裂や争い、論争、スキャンダルなどを知るために、神学校で教会史を学ぶ必要もない。
イエス・キリストは、カトリックでもプロテスタントでも福音派でもないし、罪や肉の働きに、宗派・教派の境界線など全く意味を持たない。
大事なことは、個々の魂が真の神を探し求め、聖書と遜って向き合い、組織やシステム、権威、人間にへつらうことなく、各自の探究の一歩一歩で確信を深めていくことではないだろうか。
Ⅰテサロニケ5:21-23
21 すべてのものを識別して、良いものを守り、22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
ガラテヤ1:10
今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。
ピリピ3:8-16
8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、
9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。
10 すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、
11 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。
12 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。
13 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。
15 だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。
16 ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。
ご自分の民に裁かれ、弟子達には逃げられ、罪人の代わりに十字架の上で父なる神にも見捨てられたにもかかわらず、ひたすら最後まで神に寄り頼み、たった一人で信仰を全うされた御子イエス・キリスト。
彼には野心も、虚栄も、打算も、妥協も、へつらいもない。
信仰者の成熟とは、そのイエス・キリストだけをただひたすら慕い求めることではないだろうか。
主よ、あなたとあなたの教えに従う心を与えてください。