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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

世界福音同盟の代表団が教皇フランシスコと会合(1)

 先日11月6日に、イタリア・ローマのバチカン市国において、教皇フランシスコが世界福音同盟(WEA - World Evangelical Alliance Est 1846)の代表団を迎え入れ、会合の場がもたれた。この世界福音同盟には、日本福音同盟(ホーム of 日本福音同盟 website)も加盟している。


Papa: le divisioni indeboliscono l'annuncio del ...

 以下、教皇フランシスコが代表団に向かってイタリア語で語った内容の全文と、私が個人的に和訳したものである。流暢な訳文にはできなかったが、本質的な内容を伝えることができたらと思う。特にイタリア語原文において、一人称複数の代名詞をくどい程繰り返し使っていることは特筆しておきたい。

Francesco riceve l'Alleanza Evangelica Mondiale. Testo integrale del discorso

Cari fratelli e sorelle in Cristo,

«Grazia a voi e pace da Dio Padre nostro e dal Signore Gesù Cristo, che ha dato sé stesso per i nostri peccati al fine di strapparci da questo mondo malvagio, secondo la volontà di Dio e Padre nostro» (Gal 1,3-4). L’apostolo Paolo esprime con queste parole la nostra fede comune, la nostra speranza comune. Vorrei che questo mio saluto, che proclama che Gesù Cristo è Signore e Salvatore, raggiungesse anche i membri delle vostre comunità di origine.

Nell’offrire tutta la nostra volontà, con rinnovato amore, al servizio del Vangelo, aiutiamo la Chiesa a diventare sempre più, in Cristo e con Cristo, la vite feconda del Signore «finché arriviamo tutti all’unità della fede e della conoscenza del Figlio di Dio, fino all’uomo perfetto, fino a raggiungere la misura della pienezza di Cristo» (Ef 4,13). Questa realtà ha il suo fondamento nel Battesimo, attraverso il quale partecipiamo ai frutti della morte e risurrezione di Cristo. Il Battesimo è un inestimabile dono divino che abbiamo in comune (cfr Gal 3,27). Grazie ad esso non viviamo più soltanto nella dimensione terrena, ma nella potenza dello Spirito. Il Sacramento del Battesimo ci ricorda una verità fondamentale e molto consolante: che il Signore sempre ci precede con il suo amore e la sua grazia.

Precede le nostre comunità; precede, anticipa e prepara i cuori di coloro che annunciano il Vangelo e di coloro che accolgono il Vangelo della salvezza. «Leggendo le Scritture risulta peraltro chiaro che la proposta del Vangelo non consiste solo in una relazione personale con Dio. E neppure la nostra risposta di amore dovrebbe intendersi come una mera somma di piccoli gesti personali nei confronti di qualche individuo bisognoso … una serie di azioni tendenti solo a tranquillizzare la propria coscienza. La proposta è il Regno di Dio (cfr Lc 4,43); si tratta di amare Dio che regna nel mondo» (Esort. ap. Evangelii gaudium, 180). Il Regno di Dio sempre ci precede. Come pure ci precede il mistero dell’unità della Chiesa.

Sin dall’inizio ci sono state divisioni tra i cristiani, e ancora oggi purtroppo permangono rivalità e conflitti tra le nostre comunità. Tale situazione indebolisce la nostra capacità di adempiere il comandamento del Signore di predicare il Vangelo a tutte le nazioni (cfr Mt 28,19-20). La realtà delle nostre divisioni deturpa la bellezza dell’unica tunica di Cristo ma non distrugge completamente la profonda unità generata dalla grazia in tutti i battezzati (cfr Conc. Ecum. Vat. II, Decr. Unitatis redintegratio, 13). L’efficacia dell’annuncio cristiano sarebbe certo maggiore se i cristiani superassero le loro divisioni e potessero celebrare insieme i Sacramenti e insieme diffondere la Parola di Dio e testimoniare la carità.

Sono lieto di apprendere che, in diversi Paesi del mondo, cattolici ed evangelici hanno stabilito relazioni di fratellanza e collaborazione. Inoltre, gli sforzi congiunti tra il Pontificio Consiglio per la Promozione dell’Unità dei Cristiani e la Commissione teologica della World Evangelical Alliance hanno aperto nuove prospettive, chiarendo malintesi e mostrando vie per superare pregiudizi. Auspico che tali consultazioni possano ulteriormente ispirare la nostra testimonianza comune e i nostri sforzi evangelizzatori: «Se realmente crediamo nella libera e generosa azione dello Spirito, quante cose possiamo imparare gli uni dagli altri! Non si tratta solamente di ricevere informazioni sugli altri per conoscerli meglio, ma di raccogliere quello che lo Spirito ha seminato in loro come un dono anche per noi» (Esort. ap. Evangelii gaudium, 246). Spero inoltre che il documento “Testimonianza cristiana in un mondo multi-religioso. Raccomandazioni per il comportamento”, possa diventare motivo di ispirazione per l’annuncio del Vangelo in contesti multi-religiosi.

Cari fratelli e sorelle, sono fiducioso che lo Spirito Santo, che infonde nella Chiesa, con il suo soffio possente, il coraggio di perseverare e anche di cercare nuovi metodi di evangelizzazione, possa inaugurare una nuova tappa nelle relazioni tra cattolici ed evangelici. Una tappa che permetta di realizzare in maniera più piena la volontà del Signore di portare il Vangelo fino agli estremi confini della terra (cfr At 1,8). Vi assicuro per questo la mia preghiera, e chiedo anche a voi di pregare per me e per il mio ministero. Grazie.

キリストにある親愛なる兄弟姉妹へ、

「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」(ガラテヤ1:3,4)

 使徒パウロはこの言葉をもって、私たちの共通の信仰、私たちの共通の希望を表しています。イエス・キリストが主であり救い主であると宣言する私のこの挨拶が、あなたがたが属する共同体のメンバーの方々にも届くことを願います。 

 私たちの全ての意志を、一新された愛と共に、福音に仕えることに捧げるにあたって、教会がキリストにおいてまたキリストと共に、さらに主の実り豊かなぶどうの枝になるように助けましょう。「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るため」(エペソ4:13)です。この現実は、キリストの死と復活の実に授かるところの洗礼のうちに土台を持っています。その洗礼は、私たちが共に授かっている、神の計り知れない賜物です(ガラテヤ3:14 参照)。その洗礼の恩恵によって、私たちはもはや地上の次元においてのみではなく、聖霊の力によって生きているのです。洗礼の秘跡は、私たちに一つの重要かつ慰め深い真理を思い出させてくれます。それは、主は彼の愛と恵みによって、いつも私たちの前を進んでくださる、ということです。

 私たちの共同体の先をゆき、福音を伝える人々や救いの福音を受け入れる人々の心の先をゆき、先回りし、準備します。

「そうは言ってもやはり聖書を読むことで明確なのは、福音の目的が神との個人的な関係だけで成り立つわけではないことです。私たちの愛の返答も、誰か困っている人に対する個人的なささやかな行為を単に集め数えたものとしてや、自分の良心を安心させるためだけの一連の行動としてとらえてはなりません。目的は神の御国です(ルカ4:43参照)。この世を統治する神を愛することです。」(使徒的勧告『福音の喜び』180)神の御国は、いつも私たちの先を行きます。教会の一致の奥義も同様です。

 当初からクリスチャンの間で分裂があり、残念ながら今でも私たちの共同体の間で対抗意識や争いが続いています。このような状況は、あらゆる国々に福音を宣べ伝えよという主の命令(マタイ28:19,20参照)を遂行する力を弱めてしまいます。私たちの分裂の現実は、キリストのチュニカ(縫い目のない、上の方から全部一つに織ったもの ヨハネ19:23参照 訳者注)の美しさを損ねるものですが、すべての受洗者のうちにある恵みから生まれた、深遠な一致を完全に破壊するわけではありません(第二バチカン公会議「Unitatis Redintegratio 13」教令 参照)

 もしクリスチャンが自分らの分裂を乗り越え、秘跡を共に挙行し、共に神の御言葉を伝え広め、愛を証しするのなら、福音宣教の効力は、必ずより大きいものでありましょう。

 世界の様々な国の中で、カトリック信徒と福音派信徒が、兄弟の交わりと協力の関係を結んだことを聞き、うれしく思います。さらに、教会一致推進教皇会議と世界福音同盟の神学委員会とが力を合わせたことで、誤解が解け、偏見を乗り越える道が示され、新しい展望が開かれました。

 このような協議が、私たちの共通の証しと私たちの宣教の努力をさらに与えてくれることを切望します。「もし聖霊の自由で豊かな働きを信じるのなら、お互いにどれだけのことを学ぶことができるか!ただ他人についてよりよく知るために情報を受けるのではなく、聖霊が彼らの内に撒いたものを私たちのための賜物として収穫することでもあります(使徒的勧告『福音の喜び』246)。

 書簡『多宗教的世界におけるキリストの証しーどう振る舞うべきかについての助言』が、多宗教的背景における福音宣教のために、インスピレーションを与えるものとなることを望みます。

 親愛なる兄弟姉妹。聖霊がその強力な息吹によって、継続し、福音宣教の新しい方法を捜す勇気を教会に吹き込んでくださること、そしてカトリック信者と福音派信者との関係において、新しい発展段階を始めることができると確信しております。それは、より完全な形で主の御旨、つまり地の果てまでに福音を宣べ伝えるという御旨(使徒行伝1:8参照)を実現できる発展段階です。これは私の祈りであり、私と私の任務のためにお祈りを願います。感謝します。

 このホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(教皇フランシスコの本名)という人物がどのように評価されようとも、カトリック教義上の立場においては、「地上におけるキリストの代理」の座に座っているである。この教義的大前提があるゆえに、カトリック教会が提案する『教会の一致』は、それがどのような麗しい言葉の衣をまとっていようが、教皇の絶対的権威を核にしたものでしかあり得ないのである。つまり「目に見えない天上の教会の一致」がイエス・キリストによって実現しているように、「目に見える地上の教会の一致」は、「地上におけるキリストの代理」とされる教皇を中心として成し遂げられるべきである、という概念である。そしてこの教義的大前提があるからこそ、聖書の啓示だけに信仰の唯一の基礎を置き、地上におけるキリストの真の代理は神である聖霊自身であると信じている信仰者には、この「教会の一致」が単なる妥協の産物にしか見えないのである。

 私が知りたいのは、教皇フランシスコが聖句を引用しながらメッセージしている間、本来『聖書のみ』をモットーにしているはずの福音派の代表団の聖職者が何を頭の中で考え、心の中で感じていたのかである。彼らは間違いなく誰よりも高い神学教育を受けている人々だろう。預言者エリヤやミカヤ、エレミヤ、洗礼者ヨハネについて細部に至るまで正確な知識を持ち、本を何冊も欠くことができるかもしれない。

 しかし、これらの神の僕らの真理に対する燃えるような霊は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 自戒を込めて。

エレミヤ23:28-31

28 夢をみた預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない。わらと麦とをくらべることができようかと、主は言われる。

29 主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。

30 それゆえ見よ、わたしはわたしの言葉を互に盗む預言者の敵となると、主は言われる。

31 見よ、わたしは、『主は言いたもう』と舌をもって語る預言者の敵となると、主は言われる。

 

(2)につづく