an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「神の慈愛」と「神の怒り」

Ⅰコリント6:7-11

7 そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。

8 しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。

9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。

 この短いが実に濃厚で峻厳な聖句から、以下の要素が読み取れる。

  • 神の無限の恵みとその力(11節):「あなたがたの中には、以前はそんな人もいた」。神の国を受け継ぐことなど絶対にありえないような人生を送っていたコリントの人々に対して、主なる神は無限の愛で働きかけ、彼らを救い、良心を洗い清め、義認して下さった。そして神の愛と力は今も変わっていないのである。不倫や売春、男色などの性的放縦に溺れ、社会的にも脱落し、全ての人に忌み嫌われ見捨てられたような人のためにも、父なる神は最愛の御子イエスの命を捧げてくださったのである。

ローマ5:20b

しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

  • 信仰者による罪(7,8節):「あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである」。その神の愛を知り、罪の赦しと魂の救いを受けた信仰者であっても、罪を犯す可能性はなくなっておらず、信仰者の集まりである教会の中で、その不義が醜く顕れる可能性は否定できない事実である。
  • 自己欺瞞の危険(9節):しかもその不義や罪を誤魔化し、軽視し、是認さえする誘惑や教えが信仰者の心に働きかけるのだ。

「間違ってはいけない」(口語訳)

「自ら欺くな」(文語訳)

「だまされてはいけません」(新改訳)

「思い違いをするな」(塚本訳)

「あなたがたは惑わされてはいけない」(岩波訳)

  • 聖化の絶対的必要(9,10節):しかし人間がどう考え、操作し、詭弁を使い歪曲したとしても、神の真理は変わることはない。「正しくない者が神の国をつぐことはない」。だから信仰者は、聖化を求めなければならないのである。

へブル12:14
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。 

 十字架の福音は、神の慈愛に満ち、かつ峻厳なものである。

ローマ2:1-11

1 だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。

2 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。

3 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。

4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

6 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。

7 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、

8 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。

9 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、

10 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。

11 なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。