ガラテヤ5:2-12
2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。
3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。
4 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。
5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
7 あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。
8 そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。
9 少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。
10 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、主にあって信頼している。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。
11 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。
12 あなたがたの煽動者どもは、自ら不具になるがよかろう。
アンテオケの教会にいたバルナバとパウロは、聖霊によって召されて第一次伝道旅行を行った(使徒行伝13,14章)。宣教を終えてアンテオケの教会に戻り、しばらくすると、ユダヤ地方からある人々がアンテオケの教会にやってきて、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。
聖霊がその教会で多くのギリシャ人を救っているのを聞きつけた時、エルサレムにある教会はバルナバを送り、彼はアンテオケの教会における神の恵みを見て喜び、信徒たちを励ました(使徒11:20-24)。それとは対照的に、これらのユダヤ人はアンテオケの教会を偽りの言葉で惑わそうとしていた。
使徒15:1,2
1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。
2 そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。
この割礼の問題に代表される「律法の行いと救い」に関して協議するために、パウロとバルナバがテトス他数人を連れてエルサレムへ上ったことを、パウロ自身がガラテヤ人の手紙の中で書き記している。
ガラテヤ2:1-5
1 それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
2 それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。
3 しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。
4 実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
5 私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。
エルサレム教会に「忍び込んだにせ兄弟たち」は、ギリシャ人信徒であったテトスを含め、信仰によって救われていた異邦人は割礼を受けなければ救われないと主張していたのである。
使徒15:4,5
4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。
5 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。
そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。使徒行伝15章にある有名な「エルサレム会議」である。そこで、ローマ軍百卒長コルネリオの回心の際に自らの福音理解を聖霊によって改めることになった使徒ペテロ(使徒10章)が、非常に重要な発言をした。
使徒15:7-12
7 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。
8 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、
9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。
10 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。
11 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。
12 すると、全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。
「全会衆は黙ってしまった」。当然である。「諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。」という突き刺すような真理の問いかけに、誰が反論できただろうか。
結局、使徒たちと長老たち、そして全教会の教えはまとまり、その決定を手紙でアンテオケの教会に送ることになった。その手紙にはこう書かれていた。
使徒15:23-29
23 この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。
24 こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。
25 そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。
26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、
27 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。
28 すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。
29 それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。
確かに聖霊と使徒たちや長老たちによる「エルサレム会議」で決定した必要事項の中には、「割礼を受けなければならない」という内容は存在しないのである。
それにもかかわらず、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という偽りの教えを宣べ伝えていた偽教師が、アンテオケから物理的に離れたガラテヤ教会の中までに忍び込んでいたのである。エルサレムの使徒たちの指示も受けず、遣わされたわけでもない偽兄弟が、偽りの教えを語ってアンテオケの教会の信徒らの心を乱したように、これらの偽教師は、割礼を宣べ伝え、ガラテヤ人らの心を迷わし、動揺させ、彼らの信仰の歩みを邪魔し、真理に背かせ、教会内部で扇動していたのである。
そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。
使徒パウロが断言するのは当然である。
次回は、その「神から出たものでない勧誘」「わずかなパン種で膨らんだ教え」「主張は強いが、的外れな議論」(Ⅰテモテ1:6,7)について、検証してみよう。
(2)へ続く