an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

聖書に愛される日々

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聖書を愛する生き方 - an east window

御言葉を愛する人 - an east window

 以前、上記の二つの記事を書いたが、よくよく考えてみると随分おこがましい考え方でないかと最近思うようになった。より自分の霊的現実に近い表現は、むしろ「聖書に愛される生き方」「御言葉に愛される人」ではないだろうか。

 一人の信仰者として地上の人生で知り得る霊的知識とは、神の啓示全体のほんの一部であるし、いつも同じ情熱と探究心と謙遜をもって、日々聖書の御言葉に触れ、従っているわけではないからである。むしろ、様々な葛藤や、知的怠慢、思考の硬直化に絶えず曝されているのが現実である。

 それにも拘わらず、否、だからこそ、聖霊聖書を通して日々私達の心に語り続けてくれる。私達の思考に光を与え、それを正し、導いてくれる。聖書を自分たちの思考の型紙に合わせて、切り取り、縫い合わせるのではない。聖霊が私達を愛するがゆえに、私達の日々の成長に合わせて「ちょうどいいサイズの服」を備えてくださるのだ。ちょうどサムエルの母ハンナが、祭司エリのもとで神に仕えていた幼き息子のために毎年上着を用意していたように。(Ⅰサムエル2:19)