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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

病室にて

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「生きたい」と願いながらも

老衰していく肉体に閉じ込められている魂を前に、

人間は何をなし得ようか。

 

「正統性の自負心」のなかに籠城する宗教にとって、

薄暗い病室は、まるでゴルゴタの丘のように無意味で忌々しい場所なのか。

それははるか遠くに立ち、美しい神殿を見つめている。

 

薄っぺらいガラスのように脆く、

細い糸のように頼りのない空気、時、場。

 

しかし、ここにも「いのち」が静かに待っている。

十字架に架けられた御子のなかで。

 

主なる神が備えてくださる「祈りの場」

ヨナ1:17;2:1-10

17 主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。

cap.2

1 ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、

2 言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。

3 あなたはわたしを淵の中、海のまん中に投げ入れられた。大水はわたしをめぐり、あなたの波と大波は皆、わたしの上を越えて行った。

4 わたしは言った、『わたしはあなたの前から追われてしまった、どうして再びあなたの聖なる宮を望みえようか』。

5 水がわたしをめぐって魂にまでおよび、淵はわたしを取り囲み、海草は山の根元でわたしの頭にまといついた。

6 わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。

7 わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。

8 むなしい偶像に心を寄せる者は、そのまことの忠節を捨てる。

9 しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。

10 主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。

  このエピソードを字義的に解釈しようが、または単なるシンボリズムとして捉えようが、魂の経験という意味においては、驚くほどリアリティーがあることは多くの信仰者が認めることではないだろうか。

 確かに主なる神は、自分の言動の結果に苦悩する人間にも「祈りの場」を備えてくださる。それはまるで未知の生き物の中にいるかのような、暗く、孤独で、四方から圧迫を受けてもみくちゃにされるような、そして生命力の全てを奪われるような経験かもしれない。這いつくばり、のたうち回って、泣き叫ぶしかないような「祈り」かもしれない。

 しかしその「祈り」は確かに、十字架に架けられ、葬られ、そして三日三晩ののち復活した御子イエス・キリストにおいて(In Christ)、主なる神の聖なる宮に達するのである。

わが魂がわたしのうちに弱っているとき、

わたしは主をおぼえ、

わたしの祈はあなたに至り、

あなたの聖なる宮に達した。

 むしろ十字架に架けられた御子の霊が、聖霊を通して、弱い罪びとである私たちの為にとりなしてくださるのである。

ローマ8:26-27

26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて

マタイ18:1-6

1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。

2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 

3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 

4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 

5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

6 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。 

「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」

 弟子たちは完全に間違った前提のもとに、御子イエスに対してこの質問をした。彼らは喜び讃えながら「主よ、あなたが天国で一番偉い方です!」と言うべきだった。ほんの部分的にせよ、弟子たちは御子のアイデンティティーとその栄光の姿を見てからそれほど時間が経っていないかったのだから、なおさらである。

マタイ16:13-19

13  イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 

14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 

15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 

16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 

17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 

18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 

19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 

マタイ17:1-8

1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 

2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。 

3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。 

4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。 

5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。 

6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。

7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。 

8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。 

 少なくともこの二つのエピソードに共通しているペテロは、他の弟子たちがお互いに比較し合っていたとしても、率先して「主よ、あなたが天国で一番偉い方です!あなたこそ生ける神の子、主の主、王の王です!」と言えるだけの体験はしていたはずであった。

 しかしそのような弟子たちに対して、御子イエスは呆れて「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。」(マタイ17:17)と再び言うこともできた。また弟子たちの質問に対して「私こそ、天国で一番偉い者である」と宣言したとしても、それは真理以外のなにものでもなかった。

 だが御子イエスの言動は、誰も想像していなかったものであった。

すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 

 おそらく周りに大勢いた子供たちの中から、一人の幼な子を呼び寄せ(手招きしている御子イエスと、その招きに目を丸くして驚いている子供の顔が想像できないだろうか)、弟子たちの真ん中に立たせたのである。聖書はその子の名も、誰の子であるかも記録していない。ただ御子によって、「天の国を代表するもの」として弟子たちに示すために選ばれたのである。

3 よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 

 興味深いのは、この3節の「幼な子」が複数形であることだ。つまり御子はこの幼な子が何か特別な才能や徳をもっていたから選んだのではなく、シンプルな信頼をもつ存在を代表する一人として、弟子たちの間に立たせたのだ。

 しかし4節では、「この幼な子」と単数形で、まさしく選ばれた子を実例として示している。

4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 

 この子がどのくらいの年齢だったか明らかではないが、ある程度の年齢の子供だったら、この御子の言葉に大いに励まされ、自ら御子に従いたいという思いに駆られたのではないだろうか。「イエス様は、ボクのことを天国で一番偉い人みたいに言ってくれた!」と。

 このエピソードは見事に「恵みの福音の本質」をあらわしている。神の一方的な愛をシンプルな心で信頼するならば、その救いの素晴らしさを実際に経験することができる。そしてその恵みを私達が受けることができるために、如何に御子イエスが遜ってくださったか、そのことを知り、彼だけに従い、彼だけを誇る心が与えられる。

マタイ11:25-30

25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました

26 父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。

27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。 

Ⅰコリント1:26-31

26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 

27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 

28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。 

29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 

30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。 

31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。  

人の知恵によらず、神の力による信仰

Ⅰコリント2:1-5

1 兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。 

2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。

3 わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。 

4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。 

5 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。 

 「人間の巧みな知恵の言葉によらない」、「十字架につけられたキリスト」だけを源泉とする「神の力による信仰」を、私達は知っているだろうか。それに生きているだろうか。一瞬の恍惚を味わうことでも、頭の上から電流が流れるような体験とかいう問題ではなく、本当に十字架につけられたキリストからのみ湧き出る神の力によって、自分の信仰が支えられているだろうか。

 これには、信仰者それぞれの中で意識的選択が迫られる。使徒パウロは、ギリシャのコリントへ行く前にアテネのアレオパゴスで宣教活動したのだが、そこで使ったのと同じアプローチで、コリントの人々に対して伝道することもできたはずである。

使徒17:16-32

16 さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 

17 そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。 

18 また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。 

19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。 

20 君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。 

21 いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。 

22 そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。 

23 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 

24 この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。

25 また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、 

26 また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。 

27 こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。

28 われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。 

29 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。 

30 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。 

31 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。 

32 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。 

 使徒パウロは、さらに多くのギリシャ哲学者の言葉を引用しながら、人々の関心を引き寄せることもできたであろう。彼はまた「イエスと復活とを宣べ伝えていた」し、「万物を造った神、天地の主」を説き、「悔い改めなければならない」と勧めていた。しかも、そのパウロの伝道によって、聴衆の中の幾人は救われていたのである!キリストの証し人であったら、誰でも心願う結果を得ていたのである。

使徒17:34

しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。 

 それでも、パウロ本人をして「わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまい」と固く決心させる何かが欠けていたのだろう。

 自分に少しでも正直であろうとする信仰者ならば、いくら周囲の人々があなたとあなたの知識を誉めちぎったとしても、その「足りない何か」の存在を無視することができず、十字架に架けられたキリスト・イエスの御前に跪いて祈り求めるしかないことを知っている。

 そしてそれは一度だけの経験ではなく、この世に生きている限り、何度も何度も繰り返し導かれる信仰の原点である。

シリアのアンテオケ教会(3)

使徒14:24-28

24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、 

25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、 

26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。 

27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。

28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。 

 第一次伝道旅行を終え、シリアのアンテオケに戻ってきたバルナバとパウロは、いわゆる「宣教活動報告集会」を開き、そこで「神が彼らと共にいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」を報告した。これは現代において宣教師が自分を派遣したり、資金的サポートを提供している教会や団体に対して報告するのと似たようなものであろう。

 その後、二人はアンテオケに留まり、「かなり長い期間を弟子たちとともに過ごした」とある。どのくらいの期間だったかは明らかにされていないが、二人は他の兄弟姉妹と共に、その町で信仰生活を送っていた。

 そして神の祝福を受け、安定していたと思われるアンテオケ教会にも、非常に狡猾な攻撃が襲ってきた。むしろアンテオケの集会が主の祝福を受けていたからこそ、以下のような恵みの根底を覆すような攻撃があったのだろう。

使徒15:1-2

1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。 

2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。 

 これは後に使徒パウロが『ガラテヤ人への手紙』や『ローマ人への手紙』などで厳格に論駁している、「信仰のみによる義認」を脅かす教えであった。つまりユダヤ地方からアンテオケにやってきたユダヤ人たちは、「イエス・キリストを信じるだけでは救われない。信じた後にモーセの律法を守り、割礼を受けなければ救いは全うされない」と主張していたのである。

 これらの「ユダヤから下ってきたある人々」(1節)のアイデンティティの詳細は明らかではない。ユダヤ教を信じていた人々だったか、それとも御子イエスをメシアと受け入れていたユダヤ人だったのか明確ではないが、エルサレム会議においても同じ主張をした人々がいたことが書かれているので、エルサレムやユダヤ地方の信徒たちの間でも、福音の理解において混乱があったようである。

使徒15:5

しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。 

 使徒パウロは、このように割礼を強いようとしていた「パリサイ派の者で信者になった人々」を非常に厳しいトーンで「忍び込んできたにせ兄弟ら」と見做していた。

ガラテヤ2:4

それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。 

 結局、このエルサレム会議によって「恵みの福音」を基にした議決がなされ、当時の全教会でその指針が共有されることとなった。

使徒15:22-35

22 そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。 

23 この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。 

24 こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。 

25 そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。 

26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、 

27 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。

28 すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。 

29 それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。 

30 さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。 

31 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。 

32 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。

33 ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。〔 

34 しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕 

35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。 

(以下、エルサレム会議の決定事項の関連記事)

 最後の35節を読むと、アンテオケの教会は問題の芽を摘んだことで、安泰になったとも読めるが、実際にはこのパウロとバルナバがアンテオケに滞在している間、つまり使徒パウロがバルナバと決別して第二次宣教旅行に出発するまでの期間に、さらに内側から指導者的立場の使徒たちに対するサタンの狡猾な攻撃があったのである。

ガラテヤ2:11-14

11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。 

12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。 

13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。 

14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 

 何とエルサレム会議において実に力強い弁証をした使徒ペテロだけでなく、アンテオケ教会のユダヤ人クリスチャン、さらにバルナバまでもが、強烈な偽善の誘惑に陥りそうになっていたのである。

 「わたしは衆人の面前でケパに言った」 これは「全員の前で」というニュアンスである。つまりアンテオケ教会に集まっていた兄弟姉妹の前で、使徒パウロが十二使徒の一人ペテロを戒めたという意味である。これはパウロの対応は絶対に必要だったことだが、状況の深刻さを十分に把握できていなかった信徒たちにとっては、緊張をもたらすものだったことが想像できる。

  その後、パウロはバルナバに第一次宣教旅行の時に開拓した教会を訪問する提案をするが、「マルコというヨハネ」(福音書記者マルコ)のことで二人の意見が分かれ、別行動をとることになる。

使徒15:35-41

35 パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。

36 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。

37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。

38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。

39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、

40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。

41 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。 

 『使徒行伝』筆者のルカが、「激論が起こり」と表現していることが生々しい。彼ら二人を第一次宣教旅行に送り出したアンテオケ教会が困惑し、様々な意見に分かれたのは当然だろう。そして「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」とあるのは、使徒パウロに同行していたルカが、この件に関するパウロの選択に同意していたことを暗示しているのかもしれない。

 いずれにせよ、平和の神はこのような問題にも介入し、晩年のパウロにとってマルコが「同労者」であり、「努めに役に立つ」存在として、信頼関係を築き上げるまでに導かれたのである。

ピレモン1:24

わたしの同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく。 

Ⅱテモテ4:11

ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。 

 このようにアンテオケの教会は、実に霊的で素晴らしい実を結んでいたが、それは誘惑や分裂の問題がなかったことを意味してはいない。むしろ、そのような難しい数々の問題を通して、主なる神の真実と愛と義が、私達に対しても証しされている。

シリアのアンテオケ教会(2)

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使徒13:1-3

1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。 

2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。 

3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。 

 エルサレムで起きた大迫害によってシリアのアンテオケに身を避けたヘレニスト・ユダヤ人(ギリシャ語を話す離散のユダヤ人)クリスチャンは、その町に住んでいたギリシャ人たちにも福音を語ることによって、多くの人々が救われていた。

 そのような霊的祝福を受けたアンテオケ教会において、複数の預言者や教師がいたことが記述されている。

  • バルナバ(キプロス島生まれのレビ族で、本名はヨセフ。「バルナバ」は【慰めの子】という意味。使徒4:36参照)
  • ニゲルと呼ばれるシメオン(【Νίγερ Niger】ラテン語で「黒」という意味。おそらく肌の色を指していたと思われる。)
  • クレネ人ルキオ(現代のリビア地方出身)
  • 領主ヘロデの乳兄弟マナエン(「乳兄弟」ということは、領主ヘロデと同じ乳母によって育てられた人物だったことになる。)
  • サウロ(小アジアのタルソ出身で、後にパウロという名で呼ばれるようになる)

 

 このアンテオケ教会の代表的メンバーの記述だけでも、実に様々な興味深い点がある。

  1. 現代の使徒運動なので見られるような肩書的な使い方で「預言者や教師」という表現を使っていない。つまり「預言者シメオン」とか「教師サウロ」などは書いていないのである。おそらくそれぞれの働きの範囲はかなりオーバーラップしていて、厳密に境界線を引くことは意味がなかったのだろうと思われる。
  2. 一同が主に礼拝をささげ」 つまり皆が礼拝を一緒に捧げていたのである。「バルナバが礼拝を指揮して」などとは書いていない。
  3. 断食をしていると」 礼拝の一部として「断食」の要素が記述されている。これは当然、「日曜の朝食から昼食まで時間」を意味していなかったはずである。
  4. 聖霊が『さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい』」。「聖霊が」語ったのである。おそらく「天から声が聞こえてきて」というのではなく、「聖霊がその礼拝に参加していた人々の中から、誰か一人の口を通して語られた」という状況だっただろうが、その用いられた人物が誰であるか、ということは重要でなく、神なる聖霊が語りかけたということが本質的な内容であった。
  5. バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」 バルナバとサウロ(パウロ)は、アンテオケの地域教会においては非常に重要な役割を担っていた。(「バルナバはサウロを捜しにタルソヘ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。」使徒11:25-26a)。聖霊は、アンテオケ教会内で大切な働きをしていた二人を選び出し、海外福音宣教というご自身の大きな計画のためにつかせた。これは自己完成型もしくは自己満足的な地域教会のあり方に対する教訓である。主なる神は、御子のからだを通して成し遂げられるご自身の計画の一部として、それぞれの地域教会を置いておられる。それは個人の「ビジョンの実現」とかではなく、兄弟姉妹の祈りのなかで成就していくことではないだろうか。
  6. そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後」 聖霊からの指示の後に、アンテオケ教会の兄弟姉妹一同がさらに断食と祈りとをしてから、「手を二人の上に置いた」という詳細は、とても興味深い。「聖霊が語りかけた!」と言って興奮し、無批判に行動を起こしたわけではなく、さらに真剣な祈りのうちに、主の導きと祝福を一緒に求めたことがわかる。これは、「キリストの名によって」「聖霊が私に語られた」「主がこう言われる」と言いながら、自己実現のビジョンを語るものが少なくない現代にあって、非常に重要な態度ではないだろうか。

Ⅰコリント14:29

預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。 

Ⅰヨハネ4:1

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。  

 

(3)へ続く

シリアのアンテオケ教会(1)

使徒11:19-30

19 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 

20 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。

21 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。 

22 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。 

23 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。 

24 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。 

25 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 

26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 

27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。 

28 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。 

29 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。 

30 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。

使徒13:1-3

1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。 

2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。 

3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。  

  歴史上、いつの時代でも、また如何なる文化においても、「完璧な地域教会」というものは存在したことはない。また未来においても、新しいエルサレムの時まで存在しない。たとえリバイバルの時においても、ある一つの地域教会を理想視するのは間違いである。それは聖書の中に記録されている使徒時代の教会に対しても同じである。

 このような前提を踏まえた上で考慮しても、初代教会の一つであるシリアのアンテオケ教会は、実に魅力的な特徴を多く持っていた集まりだった。

 聖書の記述から読み取れるそれらの特徴を、以下に列挙してみた。

  1. エルサレム教会の七人の執事の一人であったステパノの殉教をきっかけに、エルサレムの信仰者に対して大迫害が起きたが、その迫害から逃げた信者たちがアンテオケにいき、御子イエス・キリストの福音を語りはじめたのがアンテオケ教会のスタートだったようである。その福音を語った信仰者たちは、いわゆる「使徒」「宣教師」「伝道師」といった肩書など持っていない、もしろその名前する記されていない人々であった。
  2. アンテオケで伝道していた人々の中には、数人のクプロ人(キプロス島出身)とクレネ人(現代のリビア周辺出身)がいて、彼らはヘレニスト・ユダヤ人、つまりギリシャ語を話すことができたので、ユダヤ人だけでなくギリシヤ人にも伝道しはじめた。使徒行伝10-11章にわたって説明されているローマ軍百卒長コルネリオの救いのエピソードの中で、使徒ペテロが見せている躊躇と比較すると、彼らの異邦人伝道がたった一節で表現されているのは印象深い。
  3. 彼らは「主イエスを宣べ伝えていた」。自分自身の霊的経験ではなく、御子イエス・キリストを語っていたのである。だからこそ、そのメッセージには聖霊の働きがあり、多くの人が救われ、またそのキリスト中心の宣教のゆえ、人々はアンテオケの信徒らを「クリスチャン」(【Χριστιανός Christianos】キリストのフォロワー)と呼ぶようになった(おそらくそれは揶揄の意を込めてだったのではないかと考えられている)。
  4. ユダヤ人だけでなく、多くのギリシャ人が救われたというニュースがエルサレムの教会に伝わった時、教会はバルナバという一人の信仰者を選び、アンテオケに遣わした。この人選は聖霊によるもので、まさに適材適所だったと言える。バルナバがリバイバルの噂に魅かれて、自己推薦してアンテオケの教会にいったわけではなかった。主なる神は、ギリシャ語を話せるエルサレム教会の七人の執事たち(そのうちの一人、ステパノはすでに殉教していたが)の中から選ぶこともできたはずである。特にその中で、地元アンテオケ出身のニコラオ(使徒6:5参照)を選びこともできたはずである。しかし主は、「慰めの子」という意味のあだ名をもつほど柔和で、「聖霊と信仰とに満ちた立派な人」と証されていたバルナバが最適な器であったことを知っておられた。実際バルナバが「主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました」ことによって、大勢の人々が集まりに加わるようになったのである。
  5. バルナバの適性は、他の点にも見ることができる。「そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。」 彼は救われる人が増えるのを見て、一緒に仕える同労者の必要を感じたのであろう。回心前の経歴と回心後のラディカルな伝道によって、ユダヤ人から命を狙われ、生まれ故郷タルソに送り帰されていたサウロ(使徒9:26-30参照)を「リクルート」にしに行ったのである。まさに聖霊の実である寛容な心と、目先のことに囚われない知恵と信仰に満たされてバルナバだったからこそ、そのような行動がとれたのだろう。というのは、13章以降の記述でもわかる通り、バルナバの行動はアンテオケ教会だけのためでなく、現在のトルコやギリシャなどの福音宣教に展開していくことになるからである。
  6.  「まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。」この節においても、「彼らは教会の牧師となり、大勢の人たちを教えた」とは書かれていない。彼らの取った行動について描写しているだけである。つまり「他の兄弟姉妹と共に集会に参加し、集まった兄弟姉妹にキリストの知識を教えた」ということである。
  7. 預言者アガボが警告したように、クラウデオ帝の時に起きた飢饉に対して、アンテオケ教会はうまれて間もない教会だったにも関わらず、「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。」 この自主的な慈善行為は、バルナバが何年か前にエルサレムでとった個人的行動と一緒に考えると興味深い。

使徒4:32-37

32 信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。 

33 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。 

34 彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、 

35 使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。 

36 クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、 

37 自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。 

 

(2)へ続く