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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(14)失われた神の栄光

生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト)

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 この三点の写真は、一見ルネッサンス期の彫刻家ミケランジェロの作品『ジュリアーノ・メディチ』を被写体にして撮影した同じ様なものに見えるかもしれない。実際は、一番上の写真はミケランジェロが大理石を彫り製作したオリジナルの像を撮影した写真で、二番目はそのオリジナルの形を石膏で型取ったものから造られた、よくデッサンなどに使われている石膏像である。三番目は、その石膏像のミニチュア像である。

 下の二枚の写真の石膏像は、形はオリジナルと同じであるように見えるが、オリジナルが持っている「何か」、創作者のインスピレーションがもつ「何か」を完全に失ってしまっている。

創世記5:1-3

1 アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、

2 彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。

3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。 

 創造主なる神は、アダムを「神をかたどって造り」、御自身の栄光を反映する者として創造された。そしてそのアダムとエバは「自分にかたどり、自分のかたちのような」子供を生んだ。しかしこの一連のプロセスの途中で、「何か」が決定的に失われてしまったのである。それは天才彫刻家の手による作品のコピーが失ったものとは比較にならない程、重大な損失であった。それは主なる神の命令に背いた罪による「神の栄光の欠如」である。

ローマ3:23

すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

 私達が普段「人間」として認識している存在は、この「神の栄光を失ってしまった姿」にかたどられ、そのかたちに従って生まれてきた存在である。そしてその「欠如」は、どのような努力によっても補うことができない「欠如」なのである。

 しかし神はその不可能なことを御子キリストによって成し遂げてくださった。セツの子孫からイエスを人類に遣わし、神の栄光の欠如の原因である罪を取り除いてくださったのである。

 「粗悪な模造品」「小奇麗にできているがコピー品」であった罪人は、その信仰によって、神の子として「新しい創造」「神の作品」となる恵みが与えられたのである。

Ⅱコリント5:17

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 

ガラテヤ6:15

割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。 

エペソ2:10

わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。