誰がこの死の体から私を救ってくれるだろうか。
知性を「クラウド化」し、死から解放される未来 « WIRED.jp
「知性と肉体が分かれるということは、コピーや復元が可能な知性が人類から生まれることと同義です。肉体を捨てることを選んだ知性には、死と同時に生もあまり大きな意味をもたなくなります」
確かにあらゆる知識を持ち、それを無限にコピーし続ける「存在」の意義とは何だろう。それを「生」と呼び得るのだろうか。何のために知識を蓄えるのか。「肉体の牢獄に囚われた無知で制限だらけの存在」として人間を分析しタグをつけるためか。
しかし、彼らは生きて、そして死んでゆく生身の人間に宿る知性を見て、どう感じるのだろう?
聖書が啓示している神が、全知全能という超越的属性のみの存在でないことを感謝する。むしろ虚無の中を彷徨う人間の心に「神は愛なり」といって手を差し伸べ、その愛で包み込んでくださる方である。
ローマ7:24,25a
24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。
Ⅰコリント13:1-13
1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
9 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
10 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
ローマ5:5-8
5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。